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重家酒造、横山蔵で日本酒復活  5つの要素を探求 連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」第19回(完) 稲田宗一郎 作家

2023.08.15

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重家酒造、横山蔵で日本酒復活  5つの要素を探求 連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」第19回(完) 稲田宗一郎 作家   の写真

    (水、米、設備、分析能力、情熱のコラージュ)

 重家(おもや)酒造(長崎県・壱岐島)の横山太三さんの心に火をつけたのは、取引先の酒類販売店主の唐突な一言だった。「全国に日本酒を造りたい若者が多いのに、なんで造らないの?日本酒製造の免許を持っているのでしょ?」

 <重家酒造は1924年の創業以来、日本酒を造っていたが、太三さんが高校生の頃、大手との価格競争が激化し酒蔵の経営は徐々に苦しくなり、杜氏が高齢のため引退したのを契機に日本酒造りを辞めていた。>

 「日本酒を造りたい気持ちはありますが、焼酎しか造ったことがないから、日本酒造りは無理じゃないかな」

 「そんなことはない、君が本当に日本酒を造りたいって情熱があるならできるさ、しかるべき蔵でしっかりと修業し、王道の酒造りを学べば可能だよ」と酒販店主は澄川酒造場(山口県萩市)を紹介してくれた。

 「東洋美人」をブランドとして育てあげた男気のある澄川宜史さんは、「酒造りへの情熱は誰にも負けませんね」とだけ言って、快く引き受けてくれた。

 2013年の冬から萩にある澄川酒造場の蔵を借り、澄川さんの指導で太三さんの日本酒造りが始まるはずだった。ところが、同年7月に山口県に大雨が発生、澄川酒造場の酒蔵が床上浸水し、蒸し器など酒造りに必要な全ての設備は使えなくなってしまった。

 酒蔵の惨状を見た太三さんは「重家酒造の日本酒造りは終わった」と思った。ところが、信じられないことが起きたのである。延べ1500人ものボランティアが集まり、澄川酒造場は、2014年2月に「東洋美人」の仕込みを再開できた。

 被害からの再建が最優先のため「重家酒造の日本酒造りは辞退したい」と太三さんが伝えると、澄川さんは「約束は守る。俺の蔵で重家酒造の日本酒を造れ」と言って、4tタンク1本を重家酒造のために用意してくれた。太三さんは、苦境の中でも約束を守ってくれた澄川さんに心から頭を下げた。それと同時に、この友情にしっかりと応えようと誓った。

 太三さんは、2014年3月から泊まり込み、澄川さんの指導のもと、日本酒は5月に完成した。「横山五十」の誕生だ。
酒販店主が試飲した。

 〈OKだった〉20230815横山 (2).png

  完成した2000本の日本酒は、ボランティアに集まった全国の100軒の酒屋で取り扱ってくれた。以降、太三さんは澄川酒造場を借りて、4年間日本酒作りの修業を続けた。その経験から、日本酒造りには水、米、設備、分析能力、そして、誰にも負けない酒造りへの情熱の5つが必要な事を学んだ。

 一方、この4年の間、太三さんは壱岐での日本酒蔵の再建に向けて駆け回っていた。最初は水だった。島内19箇所を回ったが良質の水はなかった。20箇所目だった。ある日、銀行の紹介で木材屋さんの土地を見に行った。話を聞くとその土地でアスパラガスを栽培していた。アスパラガスには水が必要である。ならば、井戸がある。太三さんは、その井戸水を採取し分析してみた。分析結果からその井戸水は理想的な水だった。

 水が見つかった事に感謝して「水神様」を祀った。次は米だった。農家を回り酒米「山田錦」の栽培を頼んだ、しかし、門前払いだった。何回も頭を下げ、ようやく1人の農家が首を縦に振ってくれた。設備と分析能力は、澄川酒造場で学んだ最新の分析機器、蔵内の温度を5度に管理できる冷蔵施設、発酵の温度を自動で管理できる機器を整えた。銀行の融資を得て2018年に新しい蔵を建造するところまできた。

 蔵の規模は、酒の品質を確保できるよう約1000石とした。蔵元が1人で管理できる規模で、多くの蔵元が認めている規模だった。タンクの大きさや動線をどうするかのシミュレーションにも、再建した澄川醸造場での経験が基本になっている。さらに、井戸から組み上げた水を濾過し最適な状態に保ち、麹室は、密閉度をあげるために天井の高さを低くするなど、理想的な設備を整えた。

 日本酒造りの修業から始まり、日本酒に適した水を探し、壱岐産山田錦の栽培など様々な試行錯誤を重ね、ようやく最高級の日本酒「よこやまSILVER」「横山五十」を造りあげるところまできた。

 「純米吟醸よこやま SILVER」は、協会酵母7、1814、189、1810、14号の5種類をブレンドして使用した。また、プリンセスミチコを酵母に、酒米に山田錦と西海222号をかけわせた「吟のさと」を使った大吟醸酒は、華やかさがある酒に仕上がり、台湾で大ヒットになった。20230815横山 (3).png

(純米吟醸よこやま SILVER=左、よこやま純米大吟醸プリンセスミチコ)

 今後の目標について、太三さんは「この5年間はうまい酒を造ることが目標でした。これからの5年間は、吟のさとをはじめとした酒米の栽培にも参加した酒造りを目指すとともに、将来は工場を拡張し2500石程度まで規模を拡大したい」と夢を語ってくれた。(完)


 連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」は、稲田宗一郎さんが国内で唯一、醸造科学科を持つ東京農業大学が生んだ酵母をテーマに、全国の10酒蔵を巡るルポです。今回で完結します。

 第1回:ダム堤脇のトンネルで熟成 「八ッ場の風」は華やかな香り
 第2回:吟醸酒ブームここから 出羽桜酒造、歴代蔵元の挑戦
 第3回:吟醸の魅力、世界へ 出羽桜、業界底上げ目指す
 第4回:コメへのこだわりと挑戦 4社統合の伝統、宮城・一ノ蔵
 第5回:5代目は日本酒エンターテイナー 南部美人、新時代の蔵元が世界へ
 第6回:リンゴ酵母と大吟醸創る 中尾醸造、竹原が生んだ誠鏡
 第7回:レモンワインと日本最古の酒米 中尾醸造、竹原が生んだ誠鏡
 第8回:7代目蔵元「3つの理念」で酒造り 蓬莱泉の関谷醸造
 第9回:消費者との接点を求めて 蓬莱泉の関谷醸造
 第10回:家族が守った手造りの酒 石鎚酒造、杜氏引退で覚悟
 第11回:3杯目からうまくなる酒 石鎚酒造、時間かけ作り込む
 第12回:誰にも負けぬ酒造りの情熱 「東洋美人」の澄川酒造場
 第13回:同士の力で奇跡の復活 澄川酒造場の継承と革新
 第14回:誕生の原点は「出羽桜研修」 浦里酒造店、小川酵母にこだわり
 第15回:「足し算の酒」で日本酒造り革新 浦里酒造店の若き6代目
 第16回:300年の歴史の中に 茨城県筑西市の来福酒造
 第17回:ワインに挑戦する来福酒造
 第18回:世界へ羽ばたく壱岐焼酎 

  作家 稲田 宗一郎(いなだ・そういちろう) 千葉県生まれ。本名などを明らかにしていない覆面作家。2021年7月に遊行社から「錯覚の権力者たち-狙われた農協-」を、22年5月に「渋沢翁からの贈り物」を出版した。

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