コメへのこだわりと挑戦 4社統合の伝統、宮城・一ノ蔵 連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」第4回 稲田宗一郎 作家
2022.12.01
1969(昭和44)年の自主流通米制度の導入により、大手酒造メーカーは指定集荷業者に委託し、直接、生産者からコメを購入できるようになりました。その結果、メーカー側は「おけ買い」と称した地方の酒蔵からの酒の仕入れを減らし、自社ブランドで酒を造るようになったのです。
このメーカーの「おけ買い離れ」は、地方の酒蔵に大きな影響を与えました。地方の酒蔵は販売先がなくなってしまったのです。地方の酒蔵が生き残るための唯一の道は、蔵元独自のブランドで酒を販売することでした。この大きなうねりの中で、宮城県内の4つの酒蔵が1つになり、73年、地元のコメと「手づくりによる高品質の酒造り」を理念とした一ノ蔵が、大崎市松山に誕生したのです。
居酒屋の大将に送られ
9月7日の昼ごろ、JR陸羽東線の小牛田駅に着き、駅前の伊勢屋という居酒屋で昼飯を食べた時です。
店の大将に「松山の一ノ蔵にタクシーで行くのだけれど、どのくらいかかる?」と聞いたところ、「お客さん、店の車で連れてってやるよ」とのこと。僕はこの申し出に驚きましたが、まずは丁寧に断るのが礼儀だと思い断りました。しかし勘定を払う時に「一ノ蔵は地元の蔵で、店でも使っているし、専務も知っているから遠慮はいらない」との言葉があり、大将に案内してもらうことになりました。
地元の蔵が地元の人たちに愛されているー。この素朴な事実を目の当たりにして、僕はうれしくなりました。
車は緩やかな丘陵を登り、一ノ蔵に着きました。入口で待っていた浅見周平専務に「伊勢屋の大将に送ってもらった」と言うと、大きくうなずきました。
浅見さんにはまず、合併の経緯から話をしてもらいました。
4社統合の約束
「1970年代に入り大手メーカーが自社で酒を造るようになり、このままでは地元の蔵がつぶれてしまうとの危機感から、浅見商店(仙台市)、勝来酒造(塩竈市)、櫻井酒造店(東松島市)、松本酒造店(大崎市)が1つになり一ノ蔵が誕生したのです。役員はそれぞれの家から1名。それが約束でした。今でも、その約束は守られています」
「役員のルールは『いいちこ』の三和酒類(大分県宇佐市)と同じですね。三和酒類の西太一郎さん(元会長、2022年1月死去)から聞いたことがあります」
「稲田さんは三和酒類もご存じなのですね。一ノ蔵と今も交流していて、先日も三和酒類の役員がここに来ました」と、浅見さんは驚いた表情で言いました。
「一ノ蔵の酒造りのこだわりは?」と聞くと、「コメ作りと伝統の技です」と答え、「コメについては、地元の農家の方々と『酒米研究会』を立ち上げ、2004年には『一ノ蔵農社』を設立し、農業に参入しました。地域の耕作放棄地を引き受け、現在、専従社員で20㌶のコメを生産しています」
「農社のコメ作りには原料米生産以外に、酒米の試験栽培的な意味合いもあります。こうじの詰め替え作業などを手作業でやることにより、こうじが均一化するので、人間の五感を駆使した『手づくりの仕込み』にこだわっています。冬には栗原市一迫にある第二の蔵である金龍蔵に蔵人(くらびと)全員が泊まり込み、昔ながらの高品質な酒造りを追求しています」
「どのようなコメ作りを目指すのですか?」と聞いたところ、「稲田さん、実はその逆で、どのような酒を目指すのかによって使う米が違うのです。宮城県は元々、酒造りに飯米を使っていた伝統があります。東京農業大学の花酵母を使った『純米吟醸プリンセス・ミチコ』もこの伝統を利用したのです」
(純米吟醸プリンセス・ミチコ、右はバラ「プリンセス・ミチコ」)
「プリンセス・ミチコの原料米はササニシキです。ササニシキは山田錦のような酒造好適米ではありません。通常の酒米よりも粒が小さい飯米で、それを50%まで削り落としたコメを仕込むことは、より精密な技術が必要となるのです。一ノ蔵では長年培ってきたササニシキでの製造技術を応用することで、プリンセス・ミチコに潜んでいた柔らかな口当たりとキレの良さを出すことができました」
浅見さんはそう答え、この酵母を扱った杜氏の門脇豊彦さんの《調子が良いとどこまでも機嫌よく元気よく、逆に少し抑制すると急にへこんでしまう繊細な面も持ち合わせていて、まさにある意味でプリンセスでした》との言葉を紹介してくれました。
伝統と挑戦
「この高品質の酒造りのこだわりが『国税庁が認定する級別制度』へのチャレンジの源でした。一ノ蔵は1977年に、品質の優良な本醸造酒を国の審査に申請せず、あえて税金の安い2級酒として発売したのです」
その本醸造酒が大ヒット商品となった「無鑑査本醸造辛口」でした。そのラベルには「弊社の良心により厳しく監査されています。しかし、本当に鑑定されるのはあなた自身です」と、消費者に語りかけた真摯なメッセージが添えられていたのでした。
さらに1982年には、創業者の1人である3代目社長の鈴木和郎氏(故人)が、ヨーロッパの視察旅行でランビックという香りの高いベルギービールと、また、ウィーンではジョッキでグイグイと飲む微発泡の新酒ワインであるホイリゲと出会ったのです。
この出会いが、従来の酒蔵の常識とは異なる微発酵と低アルコールの日本酒である「すず音」と「ひめぜん」の開発につながったのです。この固定観念にとらわれない多様な日本酒の造り方が、今までの一ノ蔵の「コメ作り+伝統の技」にプラスされたのです。
(左から無鑑査本醸造辛口、発泡清酒すず音、ひめぜん)
《南部杜氏が泊まり込み、昔ながらの酒造りを続ける現場の金龍蔵を見たい》との我々の勝手な希望を受け入れて、浅見さんは伊達家の御膳米産地で有名だった栗原市一迫にある第2の蔵である「金龍蔵」に案内してくれました。
車から降り、その蔵を見た瞬間、タイムスリップしたようでした。時間が一瞬静止し、その静寂の中にひっそりと立っている金龍蔵は、俗世間の人間のいやらしさとは全く関係がない、まさに、孤高の風景の中にありました。浅見さんに聞くと、この金龍蔵は1867(文久2)年に建てられたとのことでした。
《深山を背負うようにひっそりとたたずむ金龍蔵は、まさに、酒蔵そのものである。この蔵で、冬の厳寒の中で、蔵人たちは皆で泊まり込み、昔ながらの酒造りを行っているのだ》
この孤高の金龍蔵の対極に、新しい時代の新しい技術開発に挑戦する日本酒の新たな地平線があるのです。一見、両極端にある一ノ蔵の酒造りが、混迷している現代の日本の進むべき方向を示しているのかもしれないと思いました。
連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」は、稲田宗一郎さんが国内で唯一、醸造科学科を持つ東京農業大学が生んだ酵母をテーマに、全国の酒蔵を巡るルポです。次回(第5回)は来年1月上旬に掲載します。
第1回:ダム堤脇のトンネルで熟成 「八ッ場の風」は華やかな香り
第2回:吟醸酒ブームここから 出羽桜酒造、歴代蔵元の挑戦
第3回:吟醸の魅力、世界へ 出羽桜、業界底上げ目指す
稲田 宗一郎(いなだ・そういちろう) 千葉県生まれ。本名などを明らかにしていない覆面作家。2021年7月に遊行社から「錯覚の権力者たち-狙われた農協-」を出版した。
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