宮下農相、水産風評対策が試金石 不毛なWTO協議 アグリラボ編集長コラム
2023.09.17
「処理水」を「汚染水」と言い間違え、内閣改造の前日に「これ以上は息が切れてしまう」とダウン寸前だった野村哲郎氏に代わって、宮下一郎氏(写真=農水省HPから)が農相に起用された。自民党農林部会長を経験するなど農林水産行政に精通しており、岸田文雄首相は、「食料安全保障の強化」に期待を示した。
しかし、宮下農相にとって、直面する課題は水産物の風評被害対策だ。14日の就任記者会見で、日本からの水産物の輸入を停止した中国政府の措置について「世界貿易機関(WTO)の枠組みの中で何が最も効果的かという観点から様々な選択肢を検討したい」と述べ、紛争処理の手続きの準備に入る姿勢を示唆した。
従来の政府の公式見解である「2国間、多国間の機会を捉え、世界貿易機関、地域的な包括的経済連携(RCEP)などの通商枠組みの場を活用する」(13日の首相会見)と比べて、ずっと踏み込んだ発言だ。食品安全の規制に関する委員会での協議を想定していると思われるが、協議が物別れになれば、次の段階として提訴に進む可能性がある。
ただ、WTOの紛争処理委員会で争っても、日本が得るものはほとんどない。結論が出るまでに長い時間がかかる上、2審に相当する上級委員会は機能停止状態だ。その間に議論の応酬が繰り返されば「日本産は危険」という風評が高まるだけだ。
さらに、提訴しても日本が勝訴できるとは限らない。日本政府は、福島など8県の水産物の輸入を禁止する韓国の措置についてWTOに提訴したが、2019年4月の上級委で敗訴が確定している。
宮下農相がやるべきことは、対中強硬姿勢を示すことではなくて、東電に対して多核種除去設備(ALPS)処理水の安全性を問い続けることだ。遠回りのようでも、それがもっとも確実に風評被害の抑制につながる。
本来、漁業者が対峙してきたのは、原発事故の加害者である東電であり、問われるべきことは原発政策だった。ところが、中国の禁輸措置を受けて、対峙する相手が中国にすり替わり、処理水の問題点を指摘すれば、「風評をあおる」「中国を利する」などと批判されかねない。
例えば、原発事故で溶け落ちた核燃料(デブリ)に触れた水と、通常の原子炉運転に伴って排出される水の安全性は異なるのか、浄化処理しても残留するヨウ素129などトリチウム以外の核種の状況はどうなのか。こうした疑問に対する情報開示は、まったく不十分だ。
風評被害の根本原因をつくった東電に対して、政府内で安全性を問えるのは、外務省や経済産業省ではない。漁業や水産業に関わる生産者や、食品安全の面で消費者にもっとも近い立場の農水省や水産庁の責務だ。(共同通信アグリラボ編集長 石井勇人)
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