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3杯目からうまくなる酒  石鎚酒造、時間かけ作り込む  連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」第11回  稲田宗一郎 作家

2023.04.15

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3杯目からうまくなる酒  石鎚酒造、時間かけ作り込む  連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」第11回  稲田宗一郎 作家の写真

 日本酒の1回の仕込み量が10㌧を超えるような大型の蔵もあるが、石鎚酒造(愛媛県西条市)は、そうした大規模な仕込みでは出来ない酒造りを基本にしている。蔵元(5代目)の越智浩氏は「1回の仕込み量を原料米600~1000㌔にすれば、きめ細かな酒造りのメリットがでる。その原点は酒造計画書にある」と教えてくれた。

 酒造計画書とは、どのような酒質の酒を造るのかを決め、そのためには、どんな米をどこまで削るのか、どの麹菌を選ぶのか、熟成の程度などを決めた設計図だ。その設計図に従い酒造りを始める。また、安定した酒質を実現するために原料処理と製麹(せいきく)に細心の注意を払う。

 こうじを作る製麹では、前回紹介した上田護国氏が開発した「タライ麹法」を採用している。この方法は熱と湿気を逃して空気を送り込む「仕舞い仕事」の最後の段階まで、均一保湿される特徴がある。さらに、こうじを製麹室から出す「出麹」を急ぐ必要がなく、しっかり時間をかけて作り込めるメリットがある。

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(低温で長期間発酵させるもろみ)


 これにより、こうじはふっくらとした仕上がりになり、何杯か飲んだ後に、コメ由来の味の膨らみが感じられ、それが「石鎚は3杯目からうまくなる」につながるのだ。

 酒造計画書に基づいたこの地道な酒造りを毎年繰り返すことにより、去年よりも今年、今年よりも来年と、絶えず「より良い酒造り」に向かっていけると、製造担当で浩氏の弟である越智稔氏は、熱く語ってくれた。

 稔氏の表情は、まさに、一意専心(他に心を動かされず、ひたすら一つのことに心を集中する)の言葉がピタリと合い、このまま真摯な酒造りを続ければ、稔氏は、日本で有数な酒の技術者になるだろうと僕は感じた。

お客さまの声を聞く


 石鎚酒造のもう一つの特徴は、販売ルートにある。多くの酒蔵は日本酒類販売などの卸商社を経由して酒を出荷しているのに対し、石鎚酒造では卸商社ではなく、直接、地酒専門店に酒を出しているのだ。

 「地酒専門店って?例えば、四谷の鈴傳(すずでん)とか?」
 「そうです、東京・赤堤(世田谷区)の朝日屋酒店などは、石鎚の酒を扱ってくれています」
 「なぜ、地酒専門店を通しているのですか?」
 「お客さまの声が直接、届くからです。ある専門店からは、立ち飲みで石鎚の酒はお代わりが多い、といった情報が届くのですよ」
 「なるほど」と僕は大きくうなずいた。

 「仕込み水はどうですか」と聞くと、「蔵内にある井戸から湧き出る水を、仕込み水として使っています。この水は超軟水です。この水で醸した石鎚の酒が、澄んだ香りにすっきりとした口当たりで柔らかいのは、この超軟水からきているのです」
 「超軟水だと甘口に仕上がるのですか?」と僕が言うと、「石鎚の酒は甘口とか辛口とかで表現するよりも、なめらかで、すーっと喉に入る。これを目標としています」
 「なるほど。それが5代目が言った、3杯目からうまくなる、に通じているのですね」

 もう1つ驚いたことがあった。
 稔氏に酒造りの現場、つまり洗米・浸漬から蒸きょう、こうじ作り、酒母、もろみ、上槽もろみと続く、一連の製造過程を案内してもらった時のことだ。これら一連の作業を、人の単なる経験と勘ではなく、データに基づき行っていたのだ。

 たとえば洗米では、バッチ式洗米機で10㌔ずつ洗い、コメが吸収する水分の量(白米吸水率)の目標をデータ化する。また浸漬したコメを蒸す蒸きょうの工程で、「蒸気量や蒸し時間などをデータ化し、自在にコントロールする」手法を導入。さらに酵母の分析室や培養室の管理に加え、麹や酒母、もろみの温度管理も、デジタル技術を駆使して自動化していたのだ。

 <これらの工程を一つずつ、丁寧に説明してくれる稔氏の表情は頼もしかった>

230415プリンセス.png

(純米吟醸 プリンセスミチコ)


 「稲田さん、これがプリンセスミチコの発酵中の桶です。上がってのぞきますか?」と、稔氏は言ってくれた。

 僕は慎重に、桶に掛けてある階段を上った。上からのぞくと、白いもろみの中の1カ所が、プクッと泡を吹いた。同時にプリンセスミチコの柔らかな甘い香りが、顔の周りを覆った。

 「あと、どれくらいかかりますか?」
 「2、3週間くらいですね」と、稔氏は答えた。

 <東京での再会を約束して石鎚を去った>

 帰りは稔氏が伊予西条のホテルまで送ってくれた。その夜は稔氏が予約してくれた地元の伊予西条駅近くの居酒屋「山長」で、シマアジ、カンパチの刺身、サザエのつぼ焼き、メバルの煮付けで一杯やった。酒はもちろん、「石鎚」だ。締めはサヨリのフライだった。うまかった。特にメバルの煮付けは、薄味で最高だった。


 連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」は、稲田宗一郎さんが国内で唯一、醸造科学科を持つ東京農業大学が生んだ酵母をテーマに、全国の酒蔵を巡るルポです。次回(第12回)は5月1日に掲載します。

 第1回:ダム堤脇のトンネルで熟成 「八ッ場の風」は華やかな香り
 第2回:吟醸酒ブームここから 出羽桜酒造、歴代蔵元の挑戦
 第3回:吟醸の魅力、世界へ 出羽桜、業界底上げ目指す
 第4回:コメへのこだわりと挑戦 4社統合の伝統、宮城・一ノ蔵
 第5回:5代目は日本酒エンターテイナー 南部美人、新時代の蔵元が世界へ
 第6回:リンゴ酵母と大吟醸創る 中尾醸造、竹原が生んだ誠鏡
 第7回:レモンワインと日本最古の酒米 中尾醸造、竹原が生んだ誠鏡
 第8回:7代目蔵元「3つの理念」で酒造り 蓬莱泉の関谷醸造
 第9回:消費者との接点を求めて 蓬莱泉の関谷醸造
 第10回:家族が守った手造りの酒 石鎚酒造、杜氏引退で覚悟


 稲田 宗一郎(いなだ・そういちろう) 千葉県生まれ。本名などを明らかにしていない覆面作家。2021年7月に遊行社から「錯覚の権力者たち-狙われた農協-」を出版した。

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