リンゴ酵母と大吟醸創る 中尾醸造、竹原が生んだ誠鏡 連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」第6回 稲田宗一郎 作家
2023.02.01
新幹線を福山駅で降り、JR山陽本線、JR呉線を乗り継ぎ竹原駅に向かった。呉線の車窓からは瀬戸内海の島々が見え、車中には「瀬戸の花嫁」のメロディーが流れていた。予定した訪問時間より少し早めに駅に着いたので、タクシーに乗り、安芸の小京都と言われ昔の街並みが残る竹原市(広島県)を少しブラブラしながら中尾醸造に向かった。
今回訪問する中尾醸造は、1899(明治4)年に廣島屋の屋号で創業され、「杯に注いだ酒の表情を鏡にたとえ、酒造りに精進する蔵人の誠の心を酒の出来栄えに映し出してほしい」という初代当主の願いを込め、清酒に「誠鏡(せいきょう)」と名付けたと聞いていた。(絵:「清酒 誠鏡・幻醸造元」と書かれた中尾醸造の酒蔵)
リンゴ酵母と「高温糖化酒母法」
大吟醸といえば、山口・周東の獺祭(旭酒造)が真っ先に思い浮かびますが、大吟醸のルーツは中尾醸造だと言われています。1940(昭和15)年に4代目中尾清磨が東京帝国大学の坂口謹一郎教授に師事し、酵母の研究を始めたところから物語は始まります。
清麿は日本酒の発酵に必要な3つの能力(発酵、香り、酸味)に優れている酵母を探し続け、14年の歳月をかけ2000種以上を試した結果、ついに抜群の芳香(吟醸香)を放つ酵母に出会いました。その酵母はリンゴの果皮から採取されたことから、後に「リンゴ酵母」と命名されたのです。
しかし、リンゴ酵母を添加しても発酵の途中で、蔵に元々すみ着いていた力の強い蔵酵母に取って代わられ、酒を搾るころにはリンゴ酵母は消えてしまうのです。この難問を解決するために清磨は、新しい醸造法の開発に着手し、7年後の1947年に「高温糖化酒母法」という新しい酒母の製造方法を完成させたのです。
清磨が開発したこの高温糖化酒母法は、次のように4段階で説明できます。
①蒸米・こうじ・水を混ぜ合わせる最初の工程で55℃を8時間保つ。
②長時間の高温環境下に置くことにより酒母全体を無菌状態にすることが可能になる。
③8時間経過後に20℃程度まで冷却してリンゴ酵母を添加し、その後、冷蔵庫で低温管理することによりリンゴ酵母を強くする。
④約10日間培養することでリンゴ酵母100%の純粋な酒母を得ることが可能になる。
48年にこのリンゴ酵母で仕込んだ大吟醸酒は、その年に開催された全国鑑評会で1位を受賞し、49年から3年間連続して皇室新年御用酒として献上するという栄誉を賜ります。高温糖化酒母法は日本酒造業界に貢献したことで、開発から8年後の55年には日本醸友会より第1回技術功労賞を受賞し、現在も全国で半分近くの蔵が、品評会出品酒の仕込みに使用しているといわれています。
《しかし、リンゴ酵母の酒が商品化されるまでには、さらに、25年という長い歳月がかかりました》
5代目の一念
元来、洋酒党で日本酒が嫌いだった5代目中尾義孝は、初めてリンゴ酵母の吟醸酒を口にしたときに、そのおいしさに驚き「何とかしてこの酒を売りたい」と考えるようになります。
74年に5代目は採算を度外視し、リンゴ酵母で醸した純米大吟醸酒を「幻」という名前で発売します。全国1位の受賞から26年目のことです。5代目は日本酒が1升800円の時代に、8000円という破格の価格を付けて100本販売したのです。周りの人々は「そんな高い酒が売れるはずはない」とばかにしたそうですが、あっという間に完売してしまったのです。
さらに、翌年の75年に「面白い酒を出したやつがいる」という噂が広まり、当時の人気テレビ番組11PM(イレブン・ピーエム)に取り上げられたのを契機に、大ヒット商品となります。以来、「幻」は好評を博し、品不足状態が20年近く続いたのです。(次回に続く)
(純米大吟醸原酒 まぼろし黒箱)
連載「農大酵母の酒蔵を訪ねて」は、稲田宗一郎さんが国内で唯一、醸造科学科を持つ東京農業大学が生んだ酵母をテーマに、全国の酒蔵を巡るルポです。次回(第7回)は2月15日に掲載します。
第1回:ダム堤脇のトンネルで熟成 「八ッ場の風」は華やかな香り
第2回:吟醸酒ブームここから 出羽桜酒造、歴代蔵元の挑戦
第3回:吟醸の魅力、世界へ 出羽桜、業界底上げ目指す
第4回:コメへのこだわりと挑戦 4社統合の伝統、宮城・一ノ蔵
第5回:5代目は日本酒エンターテイナー 南部美人、新時代の蔵元が世界へ
稲田 宗一郎(いなだ・そういちろう) 千葉県生まれ。本名などを明らかにしていない覆面作家。2021年7月に遊行社から「錯覚の権力者たち-狙われた農協-」を出版した。
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