「山ごはん」の至福 長者原のとり天・だんご汁 眉村孝 作家
山ごはんが好きだ。 狭い意味での山ごはんとは「登山で山頂に到達したときに食べる食事のこと」だろうか。どんな山でも、頂上に着くころには空腹でおなかがなっている。頂上で食べる食事は普段より数割増しのおいしさを感じる。 「山で自炊してこそ山ごはん」と力説する人もいるだろう。私も山用の小型ガスバーナーとア...
ボルシチはおいしかったが... ウクライナでコメなし50日 水谷竹秀 ノンフ...
「郷に入っては郷に従え」ということわざがある。訪れた土地の文化や風習に従うべき、という意味だ。取材で海外に出る時、私は現地の料理を食べるのを鉄則にしてきた。だから日本料理店には目もくれない。 戦地のウクライナで取材をするため、日本をたった3月下旬時点でもそう決めていた。ポーランドを経由し、陸路で国...
パイオニア精神受け継ぐ 豚骨ラーメン三馬路 小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編...
福岡市内で最初の豚骨ラーメン店は、1940(昭和15)年ごろに中洲で開業した屋台「三馬路(さんまろ)」とされる。豚骨発祥の店「南京千両」(福岡県久留米市)は横浜の南京街の味をヒントにしたのだが、こちらは本場の中国の味を持ち込んだようだ。 創業者は森堅太郎さん。それまで大陸を渡り歩いた森さんがデパー...
百貨店食堂「見本棚」で集客 実物見る安心感 植原綾香 近代食文化研究家
舌平目のムニエルと聞くと伊丹十三監督の映画「タンポポ」のワンシーンを思い出す。 お偉いさん一行がフランス料理で注文する場面。ウエーターから差し出された横文字だらけのメニューが理解できず、全員が同じ舌平目のムニエルを注文していく。最後はいかにも間抜けそうな下っ端がウエーターと話しながら注文を決めてい...
偶然の白濁スープ 小倉「來々軒」1951年創業 小川祥平 西日本新聞社出版グ...
豚骨ラーメンって何だろうと考える。明治期に横浜・南京街で食べられていたラウメンは豚骨を使っていた。長崎チャンポンも沖縄そばも同じ。ただそれを豚骨ラーメンとは呼ばない。多くの人は豚骨ラーメンに白濁したスープを結びつけているのかもしれない。「豚骨=白濁」であるならば、始まりは北九州市小倉北区の「来々軒...
ちゃんぽんと利他の心 食べ継がれ全国へ 小川祥平 西日本新聞社出版グループ
「アジアと結び付いた世界史を肌で感じられるから」。もう10年近く前の話。直木賞作家の葉室麟さん(2017年に逝去)は九州を拠点に書き続ける理由を語ってくれた。東京が中心なら九州は「周縁」だけれども、アジアを中心に考えるならば九州はその「前線」ということだ。 飛躍するようだが、これはラーメンの歴史に...
ハレとケの日のごはん 漫画の森 小岩くぬぎ 漫画愛好家
人がグルメ漫画に期待するものはさまざまだろうが、基本は「人生に不可欠な食という要素をポジティブにとらえている姿が見たい」ではないか。その点「今夜も割りカンで」(全2巻、高田靖彦/幻冬舎コミックス)はやや異色作。食べることにさほど貪欲ではない主人公に、それでもやってくるハレとケの日のごはんを地道につ...
スパイスカレーに熱視線 コメと好相性、自由に創作 畑中三応子 食文化研究家
日本ではじめてカレーのレシピを掲載した「西洋料理通」と「西洋料理指南」は、西洋料理という語を題名に冠した最初の料理書でもある。刊行はともに1872(明治5)年、前者の著者は戯作者でジャーナリストの仮名垣魯文、後者は敬学堂主人。実質的には両方とも欧米の料理書から直訳した内容だ。最初期のカレーの特徴は...
再ブームを起こす底力 鶏のから揚げ、専門店も急増 畑中三応子 食文化研究家
この1年、好きな店がコロナで閉店、という悲しみを何度も味わった。そんな状況下、新規の出店が目立って増えているのが、鶏のから揚げの専門店だ。 テークアウトとデリバリー専門だったり、イートインもできたり、既存のファミレスに併設したりと、形態はさまざま。街を歩けば「から揚げ」の看板に当たる。 急増の理由...