百貨店食堂「見本棚」で集客 実物見る安心感 植原綾香 近代食文化研究家
2022.04.25
舌平目のムニエルと聞くと伊丹十三監督の映画「タンポポ」のワンシーンを思い出す。
お偉いさん一行がフランス料理で注文する場面。ウエーターから差し出された横文字だらけのメニューが理解できず、全員が同じ舌平目のムニエルを注文していく。最後はいかにも間抜けそうな下っ端がウエーターと話しながら注文を決めていくので、お偉いさんは真っ赤になるという滑稽なシーンだ。
現代においてビジュアル情報なしにメニューを選択することはかなり少なくなった。ネットを使えば事前に店のメニュー画像を見ることができるし、タブレット型メニューを導入する店もある。こうしたビジュアル情報は私たちに安心感を与える。
戦前こうした安心感を与えたものに、百貨店食堂の「見本棚」の存在があった。
のちに蝋、そして樹脂でつくられる食品サンプルへと変化するメニューの見本であるが、導入当初は実物が並べられていた。「見本棚」は百貨店側からみれば効率化の観点から導入されたものだった。
「白木屋三百年史」(白木屋)によれば、客がテーブルについてからメニューを見て注文したり変更したりするのが面倒で、海外百貨店視察をもとに階段の踊り場に食品ケースを備え付け、その日のメニュー全ての見本と値段を添付して、食品切符を入り口で現金販売し食券を渡す食券制度を導入したという。この結果食堂の売り上げは4倍になったそうだ。(写真:京都高島屋の広告、「全国百貨店有名取引業者総覧 昭和10年度(百貨店新聞社)=国立国会図書館所蔵から)
一方利用する側からみると、「見本棚」のある百貨店食堂は他の飲食店に比べて入りやすい存在だった。
「大東京うまいもの食べある記(昭和8年版)」(白木正光編、丸ノ内出版社、1933年)によれば、縄のれんに入るのは「余程の勇気」がいるが、食堂は入り口に見本棚があって、和洋支食、定食、ランチ、おすし、うな丼、親子丼、トンカツ、ビフテキ、五目そば、シューマイ、飲物、お菓子までさまざまなメニューが並んでおり自由に選択でき「入りたくなる」場所だった。
特に婦人と子どもにとって利用しやすく分類された見本棚を行き来しながら「あれとあれを食べて幾ら」と胸算用する姿もあった。
実際、独りで外食する場合はどこかという当時のアンケートに歌人の中河幹子や山田邦子は「一人の時はデパートの食堂」と回答している。
百貨店食堂の工夫は「見本棚」以外にもあるが、メニューを文字だけではなくビジュアルで説明してくれるというのは、外食が不慣れだった時代に今では感じられないほどの安心感を与えたであろう。
しかし不思議なものでこれほどまでに安心感のある日本でじっとしていると、そろそろ渡航先で冷や冷やしながら注文する料理が恋しくなってくる。
(Kyodo Weekly・政経週報 2022年4月11日号掲載)
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