食べ物語
ボルシチはおいしかったが... ウクライナでコメなし50日 水谷竹秀 ノンフィクションライター
2022.06.20

「郷に入っては郷に従え」ということわざがある。訪れた土地の文化や風習に従うべき、という意味だ。取材で海外に出る時、私は現地の料理を食べるのを鉄則にしてきた。だから日本料理店には目もくれない。
戦地のウクライナで取材をするため、日本をたった3月下旬時点でもそう決めていた。ポーランドを経由し、陸路で国境を越えてウクライナに入ったのは3月末。西部の都市リビウに滞在した数日間は、ウクライナ人たちが案内してくれたレストランへ行き、紅色のスープ「ボルシチ」などを堪能した。(写真:おいしかったリビウでのボルシチ=3月、筆者撮影)
そもそもであるが、ボルシチはウクライナが発祥であることをご存じだろうか。ロシアだと思われがちだが、実はウクライナなのだ。ジャガイモやタマネギなどを煮込み、ビーツで紅色に仕上げる伝統的なスープの味は、酸味がある。
リビウでは一度だけ、アジア系の料理店に入って焼き飯を食べた。鶏肉のほか、ヤングコーンとズッキーニが入っていて、味はやや甘め。日本人がイメージする焼き飯とはかなり異なった。
4月上旬から1カ月強滞在した首都キーウでの食事はもっぱら、宿泊先のホテルで取った。というのもキーウは夜間外出禁止令が継続中で、営業している飲食店も午後8時には閉店する。取材で夕方以降にホテルに戻ってくると、外食できる店がないため、食事はホテルのビュッフェに限られてしまう。
ホテルは大統領府から約500㍍離れたキーウ中心部に位置し、宿泊客の大半は欧米の報道関係者。1泊75ユーロ(約1万円)で、ビュッフェの料金は400フリブニャ(約1700円)と決して安くはない。メニューは肉料理やパスタ、サラダ、ボルシチなどが中心で、コメはほとんど出ない。泊まり始めのころはそれでも良かったが、やがてコメのない生活に音を上げ始めた。
周辺には日本料理店もない。ウクライナに在留する日本人は戦争前でも約200人と、他国に比べて圧倒的に少ないためだ。代わりに中華を探し回ったが、いわゆるラーメン一杯を食べられるような日本風の「町中華」はなかった。それでも徒歩で30分かけて中華風の店に入り、焼き飯とスープ麺を注文。焼き飯の甘さに、あっさり裏切られた。
食事が満たされない日々に限界がきたころ、思い切ってモダンなすし屋に入った。すし屋といっても、カリフォルニア巻きのような巻きずしが主流だ。そこでみそ汁を注文。具材はワカメとシメジ、豆腐に加え、なぜかえんどう豆が混入されていた。味はやはり甘め。みそ独特の塩気が感じられなかった。こんなことなら、パックのみそ汁でも持ってくれば良かった。
こうしてアジア料理に「飢え」た50日間を終え、日本に帰国後、最初に飲んだみそ汁の味には震えた。
(Kyodo Weekly・政経週報 2022年6月6日号掲載)
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