上方のうすくちから江戸のこいくちへ しょうゆはどこから来たのか(2) 山下弘太郎 キッコーマン 国際食文化研究センター
2021.06.14
前回は、しょうゆの歴史を呼称に関する古文書の記述を中心に考察してみました。「醤(ひしお)」や「豉(くき)」と呼ばれるしょうゆとみそに分化する前の状態で大陸から日本に伝わった発酵調味料は、7世紀には液状と固体にわかれて使い分けられるようになっていました。その液状の調味料を「醤油」と呼び始めたのが15~16世紀というところまでをお話ししました。
今回は日本のしょうゆの独自性としょうゆの変遷について考察してみます。
原料を塩漬けにして保存するところから始まったのであろう「醤」は、当初自然に発酵してうまみが増すこと、つまり原料のもつ酵素や野生の微生物による作用が経験として蓄積され、人為的に発酵を行うまでになったのでしょう。
日本で特徴的なのは日本酒との関係性です。縄文末期ともいわれる稲作の伝来とともに日本酒づくりも始まったといわれています。この日本酒づくりの技術が醤と出合うことで、日本独自のしょうゆが生まれる素地が形成されたのではないかと考えています。
平安時代の「延喜式」に当時の醤づくりの原料が記述されているのですが、蘖とよばれる米麹が使われています。まさに日本酒醸造技術の応用です。室町時代になると「多聞院日記」にみられるように「カウシ、麴」という表現が定着しています。麹づくりに用いる麹菌は2006年に国菌に認定されました。
しょうゆづくりの道具も日本酒づくりに共通するものが多く見いだされます。麹づくりのための筵や室と呼ばれる部屋、桶や櫂棒などからしぼる装置までほぼ一緒です。
「醤油」という呼称が定着する以前は、ゆるいペースト状の「醤」や「豉」を袋につめて垂れてくる汁を集めたり(垂味噌など)、篭や簀を使って漉したりしていた(溜)ものが、日本酒のように圧搾するようになり歩合が高まって「醤油」として一般にも広がったのが江戸時代の初めだと考えられます。
江戸初期、江戸市場は上方からの下りものに依存していました。下り醤油は、当初は京都の溜醤油だったものが17世紀半ばに上方市場を席巻した龍野のうす醤油(現代のうすくち)に代わっていったと考えられます。だしは当初上方風の昆布だしだったのですが、関東の水の硬度では同じ味のだしが得られなかったのでしょう。
18世紀末に房総半島、伊豆半島でかつお節がつくられるようになるとかつおだしが主流になり、上方のうす醤油では、だしに負けるということで、それまでは品質が低く見られていた関東のミネラルたっぷりの水でしっかり発酵したこいくちのしょうゆが注目されるようになります。
その後江戸の食文化が花開いたのは言うまでもありません。参勤交代制度や江戸の町づくりに各地から動員された職人らによって江戸の食文化とこいくちしょうゆは全国に広がったのです。駆け足ではありましたが、しょうゆ史の試論を開陳させていただきました。まだまだ研究は半ば、これからも知見を深めてまいります。(写真:洗練された日本のしょうゆは今や世界にも)
(Kyodo Weekly・政経週報 2021年5月31日号掲載)
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