カフェー情緒が濃厚だったころ 版画「春の銀座夜景」に思う 植原綾香 近代食文化研究家
2022.07.11
仕事を終えて外にでると、蒸した空気に潮の香りが混ざっている。夏が来たと思う瞬間である。
共同通信のビルを背に電通ビルのほうへと抜けていくと汐留から銀座へ出られる。特別な用がなくても夜の銀座を歩いてから帰ると、1日の苦労がキラキラとした都会の光に溶けていく。
好きな版画家に小泉癸巳男(きしお)がいる。彼の夜を描いた作品は特に魅力的で、1931(昭和6)年に制作された「春の銀座夜景」(写真)は、何度見ても私をその時代へと誘う。漆黒の夜空に三越、伊東屋、クロネコ、銀座會館のネオンがはっきりと浮かび上がっている。道には露店の赤や黄色の光、今はなき市電、そして円タクのライト。
この頃の銀座は、飲食店が乱立し、カフェー、バーが全盛期の時代だった。カフェーはもともとサロン色が強く画家や文士の交流場であったが、それが大衆化し、女給のサービスが色気と結びついていった。特に関東大震災後は、銀座を中心に雨後のたけのこのようにカフェーとバーが増加した。
この頃のカフェーは、「西洋料理店あるいは酒場に近く、たくさんの美人女給がいて、洋酒、ビール、洋食はいわずもがな、日本料理、日本酒まで」あった。本来のコーヒーを飲ませる店は「純喫茶」の看板をあげ、カフェーとバーはその境界線を曖昧なものとした。ネオンサインの満艦飾、内部もけばけばしく飾り立て、美人女給が売りだった。そのため、食や酒の味よりも女給目当てに店へ行き、女給が別の店へ移動すれば客も移動した。
隣同士にあったカフェークロネコと銀座會館は「最もカフェー情緒濃厚なところ」だったという。クロネコは、帝国ホテルまがいの建物で、「天井から壁から、文字のような動物を一面に紺の絵の具で描きつらねた装飾」であったが、間もなくして外観を遊覧船の船体にかたどった「船のクロネコ」となった。
3階までバー、レストラン、サロンがはいっていたが、レストランは「フネノフネ」、バーは「イナイナイ・バー」という個性的な名前だった。バーを寺院になぞらえ、女給に墨染の衣をまとわせてお経を唱えさせる珍趣味な計画も立てていたという。
電気風車のネオンサインがくるくる屋上に回っていた銀座會館は、1930(昭和5)年に進出してきた大阪系のカフェーの一つ。「女給をそろえることよりも先に、まず店の宣伝」だった大阪スタイルで「日本に初めての世界的大カフェーの出現」と大看板をあげ建物を彩る派手な装飾で客を呼んだ。小泉癸巳男の1枚はまさにこの頃の銀座風景なのである。
今日において銀座の風景を切り取るとしたらどこになるだろうか。そんなことを考えながら今日も夜の銀座を歩いている。
(Kyodo Weekly・政経週報 2022年6月27日号掲載)
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