食べ物語

おおらかに味わうシメの1杯  「元祖長浜屋」のラーメン  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長

2022.10.10

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おおらかに味わうシメの1杯  「元祖長浜屋」のラーメン  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長の写真

 古里の福岡を離れた学生時代、帰省の際は旧友とたびたび街へ繰り出した。深夜まで痛飲していると、誰からともなくシメの1杯の提案がある。合言葉はこうだった。「元祖行かん?」

 元祖とは魚市場(福岡市中央区)近くにある「元祖長浜屋」のこと。中心部からちょっと離れているが、酔いどれの考えることは同じで、いつも客であふれていた。

 のれんをくぐるなり「1杯~」と、店員の威勢のいい声が響く。メニューはラーメンのみだから注文は決まっている。「いらっしゃいませ」などという常とう句はなく、ここでは客を「杯」で数えるのだ。対する、こちらも負けずと声を張り上げなければならない。

 「ベタカタ~」

 ちょっと説明が必要だろう。「ベタ」は「あぶらの量多め」の意味。あぶらを追加しない場合は「ナシ」がある。「カタ」は麺の硬さのこと。もっと硬い麺が希望なら「ナマ」、柔麺は「ヤワ」と言う。

 「ベタナマ~」「ナシカタ~」「ヤワ~、ネギ多め~」。好みを自分で告げなければならないため、それぞれの注文が呪文のように店内にこだまする。

 出てくるのも早い。スープはあっさりとした豚骨で、元だれとチャーシューの塩味が下支えしてくれる。合わさる細麺はずずっとすするのがいい。それなりの量はあるが、いつも一気に完食してしまう。(写真)

 元祖長浜屋は、その屋号の通り、ご当地ラーメンの一つ「長浜ラーメン」の元祖として知られている。

 ただ、ルーツは全く別のところにあった。

 創業したのは榊原松雄さん、きよ子さん夫婦。2人は愛知県の生まれ。戦後に福岡に移り住み、なりわいとして選んだのがラーメンだった。戦後間もない頃、名古屋の闇市で助けた台湾人からラーメンの作り方を教えてもらっていたのだ。

 1952年に屋台「清風軒」を始め、博多駅や中洲を流したが全くだめ。その後、当時は福岡市博多区にあった魚市場に場所を移すと、これが当たったという。

 55年に魚市場が長浜へ移転するのに合わせて屋台も一緒に移している。周りにも屋台が集まり、一帯の味は「長浜ラーメン」と呼ばれるようになる。忙しい市場関係者のためにゆで時間の短い細麺が、「麺だけお代わりしたい」との〝わがまま〟から替え玉が広がった。元祖長浜屋は、その替え玉発祥の店とされる。

 70年代中盤には店舗化されたが、屋台時代の雰囲気はそのままで、多くの逸話が語り継がれてきた。

 「灰皿をもらおうとしたら『床に捨てて』と言われた」「半替え玉を頼んだら、1玉ゆでて半分を床に捨てた」「ラーメンを頼まず、替え肉を肴に酒を飲む常連がいる」「客が大きな鍋を持ち込み、それにラーメンを入れてもらって持ち帰った」ー。

 店が愛されてきた理由の一つは、そんな昭和らしいおおらかさだと思う。最近は徐々に時代に適合しているが、まだまだ元祖らしさは健在である。こちらは年を取り、さすがに「ベタカタ」は無理になったが...。


 筆者の小川祥平(おがわ・しょうへい)さんは1977年生まれ。西日本新聞社記者。著書に「ラーメン記者、九州をすする!」(西日本新聞社刊)。出向所属先は西日本新聞プロダクツメディア制作部次長。

(Kyodo Weekly・政経週報 2022年9月26日号掲載)

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