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カーリングのふるさとで「神様」を見つけた  菅沼栄一郎 ジャーナリスト  連載「よんななエコノミー」

2024.10.14

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カーリングのふるさとで「神様」を見つけた  菅沼栄一郎 ジャーナリスト  連載「よんななエコノミー」の写真

 夏の軽井沢の騒がしさが消えるころ、西隣の御代田町にあるカーリングホールに賑(にぎ)わいが戻ってくる。縦長の屋根の向こうにそびえる浅間山が初雪に染まるのは11月半ばだ。

 少し古びたカーリング場は、もともと段ボール工場だった。ストーンを滑らせる約45メートルのレーン3本に氷を張ったのは、1995年のこと。98年の長野五輪では、カーリングが初めて正式競技になった。

 今年も10月に「カーリングホールみよた」がオープンする。9月中旬過ぎから水まきを始め、氷のレーンを整える。シーズン中の4月までの予定表は既に各種リーグ戦や体験教室などでいっぱいだ。東京に拠点を置く「東京カーリングクラブ」は月2回の練習会をはじめ、土日泊まりがけでリーグ戦を開催。週末には約100人が押しかけ、しなの鉄道・御代田駅からスティックを持った会員が2キロ余りの田舎道に列を作る。

 齋藤圭汰代表によると、五輪など最近のブームで会員は倍増、300人を超えたそうだ。

 そもそも日本のカーリングの歴史は長野県の諏訪湖から始まった。1936年のドイツ冬季五輪からの帰途、スイスのダボスで出合ったカーリングの石などを選手団が持ち帰った。

 「みすゞかる・信濃の国 カーリング文化史」によると、37年に県カーリング同好会を設立、諏訪湖で競技が始まった。カーリングといえば「ロコ・ソラーレ」の活躍で北海道の常呂(ところ)町が知られるが、最初に上陸したのは長野県だったのだ。

 戦時の空白を経て、長野県カーリング協会が87年に設立され、初めてカーリングホールができたのが御代田町だった。「縄文人が定着した地といわれる御代田を、カーリングは気に入ったようです」。初代理事長だった故小林貞雄氏が、町の広報に書いた。

 町民らの会費に支えられて16年間運営を続けてきた土屋美喜子理事長(66)は語る。「小さな子供からお年寄りまで楽しめるのが、魅力ですね」。自身も50歳以上のシニアクラスで3回、日本代表になった。

 「車いすでもろう者でも、大きなルール変更なく参加できちゃうのが、醍醐味(だいごみ)かな」。齋藤代表も言う。年末年始には、イタリア、カナダのチームを迎え、3回目の「ワールドツアー・ニューイヤーカーリング」が全国中継される。地元含め女子8チームが参加する。

 11月8日に公開される映画「カーリングの神様」の舞台は、巨大なカーリング場がある軽井沢や常呂町ではなく、なぜか御代田町が選ばれた。

 撮影現場を決めたエグゼクティブ・プロデユーサーの岩城レイ子さんは「ワールドツアーの会場と聞いて訪ねたら、小さなカーリング場でびっくり。ドキュメンタリーのような物語ができる、と即決しました」。

 歓迎した土屋理事長は、「建て直すおカネもないけれど、神様は見ていてくれたんですね」。

(Kyodo Weekly・政経週報 2024年9月30日号掲載)

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