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海人族の縁  連載「旅作家 小林希の島日和」

2024.09.16

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海人族の縁  連載「旅作家 小林希の島日和」の写真

 初めて訪れた場所なのに、なぜか懐かしく想(おも)い、胸がキュッとなる時がある。この不思議な感覚は、これまでにも何度かあったが、強烈に感じたのは、福岡県の志賀島(しかのしま)だ。

 博多湾に位置する志賀島は、歴史の教科書でも有名な、「漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)」の金印が発見された島。歴史ロマンに浸りつつ、海岸線をぐるりと一周サイクリングし、最後に志賀(しか)海神社(うみじんじゃ)を参拝した時だった。

 境内に入ると、パッと目が覚めたように感覚が研ぎ澄まされて、グッと引き寄せられる縁を感じた。

 この神社は、伊耶那岐命(いざなぎのみこと)の禊(みそぎ)によって生まれた、綿津見三神(わたつみさんしん)(底津(そこつ)綿津見神(わたつみのかみ)・仲津綿津見神(なかつわたつみのかみ)・表津綿津(うわつわたつ)見神(みのかみ))を御祭神として奉斎(ほうさい)している。神代より「海神の総本社」と称されている格式高い神社だ。

 普段、島旅をライフワークとし、多くの船に乗っている。だから、いつの間にか海神様とご縁をいただいたのか。いやいや、それは自己中心的な願望というもの。

 神社の略記を掲げる看板には、宮司は代々、綿津見三神の神裔(しんえい)である「安曇族(あずみぞく)」を奉職とする旨が記されていた。

 安曇族は、『古事記』にも名が出てくる古い一族で、綿津見三神を祖神とする。優れた航海術で朝鮮半島や大陸との交易にも活躍していた「海人族(かいじんぞく)」である。いち早く大和朝廷に仕え、やがて日本列島各地に広がっていったようだ。

 例えば、長野県の安曇野や能登半島の志賀町(しかまち)、渥美半島などは、その地名が物語っている。

 気になって、母に自分自身のルーツを知りたいと聞いてみた。

 「う〜ん、たしか江戸時代までは分かっているんだけど、滋賀県に関係していた気が...」と曖昧な返事。

 ルーツに想いを巡らせている頃、仕事で隠岐諸島の島後(どうご)を訪れた。港目前のカフェ「ゆらぎ」で打ち合わせをしている時、本棚の『海人族の古代史』という本が目に入った。手に取り、パラパラとめくっていると、店員の女性が「これ面白いですよ」と声をかけてくれた。

 「実は、志賀島で安曇族を知ってから海人族が気になって」

 「ああ! 実は私、長野の安曇野から移住してきたんです」

 導かれるように、その場で本をネットサイトで購入し、家に帰ってじっくり読み進めた。すると、「安曇族は、滋賀県の安曇川(あどがわ)に定着した」と書かれていた。

 志賀島から始まり、目に見えない糸に括(くく)られている気がしてならない。次はどこに結ばれるのだろう。

(Kyodo Weekly・政経週報 2024年9月2日号掲載)

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