空気を読んだ食事 鬼頭弥生 農学博士 連載「口福の源」
2024.08.26
私たちの日々の食行動は、その基盤に自らの意思があるものの、自身の置かれた経済的・物理的状況のほか、社会的状況、特に人と人との間の社会関係を背景とした社会的プレッシャーから大いに影響を受けている。(イラスト:食行動にも周囲から圧が=筆者画)
とある学生から、こんな話を聞いたことがある。就職活動中だったその学生は、訪問先企業の担当者と一緒にランチを取る機会を持ったそうだ。鶏肉料理が出てきたのだが、その学生は肉類が大の苦手。相手が親しい友人なら食べてもらうところだが、その場は何とか丸のみして乗り切ったそうだ。一緒に話を聞いていた他の学生は「食べられないって言えばよかったのに」と言っていたが、先方との関係性を考えると、それは難しかっただろう。社会的プレッシャーとは別に、食べ物を残したくないという気持ちもあったろう。
社会関係に裏打ちされた社会的プレッシャーのもとで、人は自らの健康を危険にさらす食行動をしてしまうこともある。例えば、本人は全く気が進まないにもかかわらず、知人の勧めで鶏肉の生食をすることがある。筆者は、鶏肉を生食する理由を問う自由記述式のアンケート調査において、「好きだから食べた」という回答も確認したものの、「(食中毒のリスクがあり)危ないと思ったが、知人・親戚に勧められたから(生の鶏肉を)食べた」という趣旨の回答を一定数確認している。
こうした「空気を読む」食行動は、日本に限ったことではない。ニーナ・ヴェフレン博士らが2020年に発表した論文によれば、社会的プレッシャーの大きいシチュエーションの方が、食中毒リスクの高い料理でも食べてしまう傾向があるという。ヴェフレン博士らはノルウェーの消費者を対象に調査を行い、食事が饗(きょう)される17のシチュエーションを示し、各シチュエーションの社会的プレッシャーの度合いを測定している。17のシチュエーションには「パートナーが食事を作って出かけた後で、家で1人」「仕事の打ち合わせのため、上司にレストランに招待された」「13歳の娘がサプライズでディナーを用意してくれた。彼女が自ら作った料理を笑顔で運んでくる」「未来の義理の両親に自宅に招待された。未来の義父が腕を振るって調理した料理を運んでくる」などが並び、最初のものが社会的プレッシャーの最も小さいシチュエーション、最後のものがプレッシャーの最も大きいシチュエーションとして報告されている。そして、高リスクの料理(生の肉類など)が饗された時に食べるか否かに対して、プレッシャーの高低が影響を及ぼすことが明らかにされている。社会的プレッシャーが、リスキーな食事を含め、食行動を大いに規定する、ということだ。
社会関係が食行動に与える影響は、環境やロス削減に配慮した食行動を生んだり、健康に気を使った食を促したりなど、良い方面に現れることもある。しかしながら社会関係や、そこからくる社会的プレッシャーが自分や誰かの食行動を規定する可能性があること、誰しもプレッシャーをかける側になり得ることを、自覚するようにしたい。
(Kyodo Weekly・政経週報 2024年8月12・19日合併号掲載)
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