「顔の見える」情報いかに 鬼頭弥生 農学博士 連載「口福の源」
2024.06.17
食の情報提供やリスクコミュニケーションに関する研究をしていると、しばしば、健康食品をめぐる宣伝や情報の問題が話題に上る。そして、そこでは「健康食品に関する個人の体験談はあくまで一個人の体験談。効能の有無は、統計的・科学的な情報を確認して判断しましょう」といった、情報を読み取る際に注意すべき事項を消費者に伝えて、消費者の情報リテラシーを高めることの重要性が議論される。個人の体験談に影響を受けてしまうという人間の性質に消費者自ら注意しましょう、というわけである。(画像:「顔の見える」情報か統計的情報か、筆者画)
人びとが統計的情報よりも、一個人の情報からより大きな影響を受けることは心理学の実験でも検証されている。アメリカの心理学者、デボラ・A・スモール博士らが2007年に発表した論文によれば、食糧危機で大勢の人が苦しんでいることを示す統計的数値による情報よりも、ある一人の少女が食糧危機で苦しんでいるという写真付きの「顔の見える」情報を提供したほうが、食糧支援のための寄付金額が大きくなったという。
ただし、「人びとには統計情報よりも顔の見える情報に対して強く反応する傾向があるのだ」という説明をあらかじめ受けた被験者では、「顔の見える」情報の効果はみられず、寄付金額は低くとどまった。また、統計的情報と「顔の見える」情報の両方を示した場合にも、「顔の見える」情報の効果は失われてしまったという。ここでの「顔の見える」情報の効果とはつまり、特定の誰かへの共感とそれに基づく利他的行動ということなのだが、注意深さや分析的思考がそうした効果を抑えてしまったということになる。
思えば私たちは、農産物に付けられた生産者の顔写真や、食品の特徴と一緒に紹介される生産者のストーリーなど、食に関する多くの「顔の見える」情報に囲まれている。とりわけ環境保全型の農産物やフェアトレード商品などの倫理的商品を普及しようとする時は、「顔の見える」情報の提供が重視されることが多いように思われる。
生産・流通サイドからみれば、その目的は、効果的なマーケティングというより、むしろ純粋にその情報を分かりやすく伝えることにあるかもしれない。しかし、いずれにしても消費者の分析的な思考ではなく、感情的な思考に訴えるものである。健康食品の文脈ではよろしくないとされる一個人の「顔の見える」情報の効果を、倫理的商品の文脈だからといって手放しで肯定してよいものか、いささか複雑な気持ちになる。
もちろん、他者への共感は、人として重要な感情反応で、人間のコミュニケーションに不可欠な要素の一つである。しかし理想をいえば、消費者が高い情報リテラシーを持ち、感情反応だけでなく分析的思考や熟慮を経て、倫理的消費行動が生まれることが望ましく、そのための消費者教育やマーケティングが模索されるべきではないだろうか。
とはいえ、今日もまた、ぱっと心ひかれた食品を買ってしまった自分がいる。
(Kyodo Weekly・政経週報 2024年6月3日号掲載)
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