震災と釜石の居酒屋 眉村孝 作家 連載「口福の源」
2023.12.04
「ごめんね。海がしけてるので、大したものがないのよ。それでもよいのなら」。JR釜石駅(岩手県釜石市)近くにある居酒屋「とんぼ」ののれんをくぐると、女将(おかみ)からカウンター越しに声をかけられた。9月8日午後8時過ぎのことだ。
その日は埼玉県内の自宅を早朝に出て、東北新幹線、JR八戸線と乗り継ぎ、八戸市の陸奥湊(むつみなと)駅近くの「みなと食堂」に到着。本誌10月16日号で触れたが、昼前に絶品のひらめ漬丼とせんべえ汁のセットにありつけた。
だがその後は、八戸から「みちのく潮風トレイル」を歩いたり、八戸線や三陸鉄道に乗りっぱなしだったりで、落ち着いて食事をする暇がなかった。その時は「早く何か地の物を食べたい」という思いでいっぱいだった。
JR東日本のお得な企画切符を使った週末の一人旅。目的の一つは「食」だが、東日本大震災から12年が過ぎた被災地がどう変わったかを体感したいとも思っていた。震災の年から6年ほど震災報道に携わり、折に触れて東北へも足を運んでいたからだ。
だが旅を始めてすぐ、わずか1日では「震災からの変化を見る」ことが難しいことを思い知らされた。月日がたち災害の爪痕は見えなくなっている。三陸鉄道から見えるものも限られる。
皮肉にも震災をリアルに感じたのは地震のおかげだった。18時28分、宮城県沖を震源とする最大震度4の地震があったのだ。私はちょうど三陸鉄道の列車の中にいて、恐ろしさを感じるとともに震災の記憶がよみがえった。大きな揺れや津波、原発事故、その後の日本社会の大混乱。列車は数十分停車し釜石駅へは大幅に遅れて到着した。
店へ入っても地震と震災のあれこれに思いを巡らせていると、女将がビールとお通しを運んできた。お通しはイカのウニ和えとキュウリ。続いてセッタカレイの煮付け、そして地魚の刺身を盛った大皿が運ばれてきた。(写真:「とんぼ」では釜石ならではのさかなが並んだ、筆者撮影)
マグロ、アジ、ホタテまでに驚きはない。だがメジ、ホタテのヒモには「おや」と思う。「ホタテのヒモは新鮮でないと。時間がたつとアンモニア臭がするのよ」と女将。だから東京で出合ったことがなかったのだろう。
しかし女将の言う「大したものはない」は何なのだろう。「大したもの」ばかりではないか。
とんぼは元々、最盛期には36もの店が並んだ釜石市の「呑(の)ん兵衛横丁」にあった。だが震災で被災。仮設店舗で営業を続けていたが立ち退かざるを得なくなり、この駅前の建物に移った。
そのせいか、女将の話には震災の話題が混じる。「(震災後に)巨大な堤防ができたのよ。その先の海は全く見えない。防災は大切だけれど、なんだかね」
気が付くと2時間近くが過ぎていた。地震に遭い、とんぼへ。地の食を味わいながら、ようやく震災を体感する時間が持てた。
(Kyodo Weekly・政経週報 2023年11月20日号掲載)
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