川霧と温泉と田舎料理 眉村孝 作家 連載「口福の源」
2023.09.25
8月初めの夕暮れ時。私は福島県三島町、JR只見線が只見川を渡る第二只見川橋梁のそばで、橋や川面を眺めていた。
尾瀬ケ原を水源とする只見川は水量が豊かで、元々の流れは急だ。だが現在は発電を目的とした大小10以上のダムがある。三島町付近の只見川は、ダムが近いため湖のように穏やかで、木々や青い空、只見線の橋梁が水面に映っていた。
その水面がにわかに白く濁り始めたように見えた。目を凝らすと濁りがどんどん広がっていく。濁りではない、川霧だ。そう気づいた時には、霧が川を低く覆い、水面がほぼ見えなくなっていた。初めて見た、川霧が生まれ広がる瞬間だった。
その日の宿泊は町の中心部の只見川沿いにある「宮下温泉栄光館」。宿の女性に「川霧が出ていました」と話すと、「只見川だけの現象なんです。温泉からも見えるのでぜひ。蒸し暑い夏の間は、夕暮れに出て朝まで消えません」と教えてくれた。
福島県会津若松市の会津若松駅から新潟県魚沼市の小出駅までを結ぶ全長135キロの只見線。「日本一の絶景ローカル線」といわれながら、2011年の新潟・福島豪雨で只見川にかかる橋梁が三つも流され、長く不通が続いていた。その只見線が地元やJRの尽力により22年10月、約11年ぶりに復旧した。今回の旅の主な目的は夫婦で只見線に乗り、沿線の風景や温泉、食を楽しむことだった。
その日は会津若松駅から会津宮下駅まで普通列車に乗り車窓からの風景を味わった。駅を降りてからは電動自転車を借り、只見線の撮影スポットとして有名な第一只見川橋梁の見えるビューポイントへ。川霧に偶然出合ったのは、ビューポイントから宿へ向かう途中でのできごとだった。
なぜ川霧が発生するのか。只見川は尾瀬や奥会津の雪解け水が集まるため水温が低い。ダムができたこともあり夏でも水温は低く保たれ、流れは緩やかだ。川に接する大気との温度差が大きく湿気があると、川霧が発生するという。「只見川だけ」は大げさにしても、夏に80日ほど発生する川霧は、只見川でこそ楽しめるものといえるだろう。
栄光館の温泉は源泉かけ流しの炭酸水素塩泉。1日の疲れを癒やしながら窓から眺める川霧には、格別の趣があった。
温泉の後は夕食だ。馬刺し、ニシンの山椒漬け、豚のしゃぶしゃぶ、鶏砂肝煮、地元野菜と魚の蒸しもの、なす田楽、さしみこんにゃく、枝豆、漬け物、みそ汁にご飯--。馬刺しを除けば珍しいメニューはないが、どれも素材が新鮮でうまい。給仕をしてくれた男性に「おいしいです」と伝えると「田舎料理ですが」と謙遜の一言。(写真:栄光館の田舎料理=筆者撮影)
それでも川霧と温泉を楽しんだ後にいただく田舎料理は、何よりもぜいたくなものと感じられた。
(Kyodo Weekly・政経週報 2023年9月11日号掲載)
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