椀に広がる楽しみ 懐中汁粉の魅力 植原綾香 近代食文化研究家
2022.03.21
湯を注いでお手軽おいしいといえばカップラーメンが思い浮かぶが、湯を注いで食べる楽しみには意外と歴史があり、戦前に楽しまれたものの一つに懐中汁粉がある。
今でもスーパーや和菓子店で購入できるが、もなかの中に乾燥させたさらしあんが入っており、熱水で即席汁粉が完成する。
正確な起源は不明だが、1888(明治21)年には懐中汁粉の文字を見ることができる。劇作家の小山内薫が「中央公論(1911)」に掲載した「梅龍の話」にはこんなエピソードが出ている。
食べることに目がない赤坂のお龍は、滞在中の箱根で大洪水に見舞われた。食べ物がないから茶屋で懐中汁粉を買って(本当は洪水で人のいない茶屋から拾って)、お湯で溶いてみた。すると中から小さい日の丸の旗が出てきて、旅順口と書いてあったという。
それを見て、懐中汁粉が日露戦争ごろのずいぶん古い汁粉だと気付くのだが、この仕掛けがなかなか面白い。一説によれば、日露戦争の戦勝記念には、ロシアと日本の旗が浮いてきてしばらくするとロシアの旗が沈む汁粉があったらしい。近年に復刻されたものでは日露の友好を願い両国の旗が浮くものも販売されたとか。
(写真:銀ぶらガイド社が1927(昭和2)年に出版した松崎天民の著作「銀座」(国会図書館所蔵)が掲載している汁粉関連の広告)
「婦人倶楽部(1927)」には家庭での懐中汁粉のつくり方が掲載されている。そもそも戦前の汁粉は種類が多く、一口に汁粉といえども汁粉屋では複数の種類が提供されていた。
ここでも「櫻の花しるこ」「大和しるこ」「しるこ今紫」「玉露」「挽茶しるこ」「ココアしるこ」「菊見しるこ」「果汁または酒入しるこ」の8種類が紹介されている。
よく見てみるとさらしあんは共通材料ではないので、よくイメージする小豆色の汁に限らないということだ。家庭のためか最中は使われておらず、器などで固めて乾かしたら紙に包んで缶に保存とある。
ちょっとしたときにお湯を注いで食べられる保存食だ。さらに興味深いのは、このレシピにも浮き種がある点だ。
塩漬けの桜の花、黄菊、ひさごや千鳥の菓子種、桃の節句の紅白あられ、餅あられののり巻きか唐辛子入りなどをいれるとしゃれたものができると書いてある。ないときはウエハースを細かくしたものでも代用できるそうだ。
湯を注いだ時の楽しみがなんとも考えられているではないか。手軽でありながら椀の中に広がる小じゃれた楽しみが戦前からあったのである。
子どものころ、カップラーメンに浮かぶピンクの鳴門巻きを姉妹で取り合ったことがあるが、浮いてきた種を誰かが取り合っていたのかもしれない、と思うとちょっと面白い気持ちになったりする。
(Kyodo Weekly・政経週報 2022年3月7日号掲載)
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