食べ物語

土佐の洗礼  「どろめ」「のれそれ」とは  眉村孝 作家

2022.03.07

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土佐の洗礼  「どろめ」「のれそれ」とは  眉村孝 作家の写真

 「お姉さん、どろめに、のれそれをお願い」

 今から20年ほど前の春、東京から高知市へ赴任したばかりのころだ。高知市のお隣、南国市で病院を経営するおんちゃん(土佐弁で「おじさん」の意味)とふとしたきっかけで知り合いになり、早速飲むことになった。

 おんちゃんが指定した、高知市中心部にある「タマテ」という小料理屋へ入ると、おんちゃんはビールとともに、当時の私には意味のわからない、いくつかの料理を注文した。

 その酒席は、高知で地元の人と初めて杯を交わす機会だった。「土佐、高知といえばカツオ」という、わかりやすい先入観を抱いていた私は「あれ、カツオのたたきではないのか...」と意外に思った。それにしても「どろめ」に「のれそれ」とはなんなのだろう。

 落ち着かない気持ちでおんちゃんと話しているうちに、ビールと料理が運ばれてきた。

 まずはどろめ。半透明の生の小さな稚魚と刻みネギ、もみじおろしが小さな器に盛られている。口に入れると、新鮮な魚特有のほんのりとした甘みと海を感じさせる塩味が広がる。刻みネギやもみじおろしの辛み、ポン酢の酸味がほどよいアクセントになっている。

 「どろめ」とはイワシの稚魚のこと。普通ならゆでて「しらす」として食べるイワシの稚魚を、高知は生のままポン酢や三杯酢をかけていただくのだ。(写真:筆者撮影)

 慣れてくると、器に口をつけ、つるっとそばをすするようにも食べられる。その甘み、そののどごし。水揚げされたばかりの新鮮な魚がすぐそこにある高知ならではのつまみだ。

 どろめは見た目からなんとなく味の想像ができたが、のれそれは見当がつかなかった。やはり半透明で、どろめよりははるかに長く平たい。しかも緑色のペースト状のものがかかっている。どろめ以上におそるおそる口にしたのだが、つるんとしていて、これがまたおいしい。

 私が「これはなんだろう」という顔をしていたからだろう。おんちゃんは「アナゴの稚魚に、葉ニンニクにみそや酢を混ぜたぬたをかけたものよ」と教えてくれた。ぬたは和食では珍しくない調味料だが、私は葉ニンニクのぬたを土佐料理でしか食べたことがない。16世紀末、土佐国の戦国大名、長曾我部元親が朝鮮の役から帰ったとき持ち込んだのがルーツとの説がある。

 土佐のおんちゃんとの飲み会は私に強烈な印象を残した。最初に食べさせてくれた「どろめ」と「のれそれ」がおいしかっただけではない。「東京では出会えないもの、高知でしか食べられないものをぜひ食べてもらいたい」という、おんちゃんの土佐の食への自信と、もてなし精神をひしひしと感じたからだ。予想外の、しかし心地よい「土佐の洗礼」だった。

(Kyodo Weekly・政経週報 2022年2月21日号掲載)

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