中華麺をカツオだしで 沖縄そばのルーツと魅力 小川祥平 西日本新聞社出版グループ
2022.02.28
明治の中期以降、東京や横浜の中華街で「ラーメン」が食べられるようになった。同時期、九州・長崎では華僑が中華麺を使った「ちゃんぽん」を生みだし、豚骨ラーメンへとつながっていく。さらに大陸に近い沖縄では独自の麺文化が根付いた。「沖縄そば」である。
ルーツは琉球王国時代の宮廷料理との説もあるが、詳しいことは分かっていない。沖縄生麺協同組合によると、明治30年代に庶民向けのそば店が出現し、徐々に沖縄独自の味が形成されていった。当初は「支那そば」と呼ばれ、「琉球そば」「沖縄そば」と呼称が変わったという。
現存する店でもっとも古いのが、県北部・本部町の「きしもと食堂」だ。創業は1905(明治38)年。(写真:老舗らしい店構えのきしもと食堂=筆者撮影)4代目の仲程弘樹さん(43)に聞くと、やはり最初は「支那そば」と呼ばれていたらしい。
仲程さんの曽祖父母、岸本恵愛さんとオミトさん夫婦が始めた。先祖は大陸の出身。那覇の唐人集落・久米村で育ち、「そば」は家庭料理だった。明治維新、琉球処分と世の中は激変し、夫婦は那覇から離れて、本部町に移り住む。その地で食堂を開いたのだが、経緯がおもしろい。
恵愛さんは琉球漆器の職人で、漆器には豚の血が必要だった。そこでオミトさんは知恵を絞り、血と豚骨も仕入れてそばを売り始めたのだ。当時は物々交換もまだ存在しており、「作ったそばで支払いに充てたらしいです」と仲程さんは教えてくれた。
祖母が2代目、母が3代目、地元で愛されてきた老舗は今世紀に入って飛躍した。2001年にNHKの連続テレビ小説「ちゅらさん」で沖縄ブームが起き、翌年には地元に「沖縄美ら海水族館」が開業。観光客が行列をつくる光景は今や日常となった。
それでも昔ながらの製麺法を守る。カツオだしの効いたあっさりスープに合わさるのは、小麦粉に木あくを混ぜた中華麺。まきを燃やした際に残った灰を水と混ぜ、数日かけて沈殿させる。その上澄みをすくったのが木あくだ。現在では大半の店がかんすいを使用するが、きしもと食堂はこの木あくにこだわる。「お金も手間もかかるけど伝統を守るのは老舗の責任だから」。仲程さんはそう話す。
本土復帰後の1976年、公正取引委員会から「そば粉が使われていないのに『沖縄そば』と表示するのは違反」と指摘された。ただ、地元の人たちが交渉を重ね、「本場沖縄そば」との呼称が認められた経緯がある。
今年は返還50年。さまざまな面で〝本土化〟していく中、沖縄の人たちは関東にも九州にもない麺文化を守り継いでいる。
筆者の小川祥平(おがわ・しょうへい)さんは1977年生まれ。西日本新聞社ビジネス編集部次長。著書に「ラーメン記者、九州をすする!」(西日本新聞社刊)
(Kyodo Weekly・政経週報 2022年2月14日号掲載)
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