食べ物語

カステラ、茶のルーツ  スイーツ王国だった長崎・平戸  陣内純英 西海みずき信用組合理事長

2021.11.22

カステラ、茶のルーツ  スイーツ王国だった長崎・平戸  陣内純英 西海みずき信用組合理事長の写真

 学生時代、鳥獣戯画で有名な京都の高山寺でアルバイトをしたことがある。掃除などのほか、参拝客に呈茶もした。主菓子は満月の阿闍梨餅だった。高山寺には、「日本最古の茶園」がある。宋への留学から帰った栄西禅師が持ち帰った茶の実を高山寺の明恵上人に伝えたとされる。

 一方、長崎県平戸市には「日本最古の茶畑」がある。栄西禅師が宋からの帰り、最初に寄港したのが平戸で、同地の冨春庵で座禅を組み、茶の種をまいたとされる。鎌倉時代初期、1191年7月のことである。京都と平戸、どちらが古いかあえて問えば、平戸が古いことになる。

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(写真:栄西禅師遺跡之茶畑=9月、筆者撮影)


 平戸のお茶菓子の代表格は、カスドース。カステラを卵黄にくぐらせ、糖蜜で揚げた南蛮菓子で、平戸の殿様(松浦家)への献上品だ。ポルトガル船に積まれてきた保存用の固いカステラをおいしく食べるために工夫されたそうだ。

 これを製造販売している平戸蔦屋(つたや)は、文亀2(1502)年の創業だ。有名なカステラの本家福砂屋(長崎市)は、会社のロゴにある通り寛永元(1624)年創業なので、それより100年以上古い。

 当時の平戸は日明貿易の拠点の一つであり、蔦屋は中国菓子を作っていたらしい。1550年ごろになると、平戸がポルトガルとの貿易拠点となり、カスドースが生まれた。

 その後オランダ、イギリスと相次いで平戸に商館を設ける。世界のさまざまな菓子が平戸に入り、材料の砂糖や卵もふんだんに入手できた。多くのパティシエが活躍していたことだろう。長崎の出島にオランダ商館が移る直前の1640年ごろまで、平戸は日本随一のスイーツ王国だったに違いない。

 だから、平戸のお殿様にも、風流人が多い。有名なのが、第29代松浦鎮信(1622~1703年)だ。「茶湯由来記」を著し鎮信流という流派を打ち立てた。同じく大名茶人として有名な松江の松平不昧公(1751~1818年)より、100年以上前の話だ。(上の写真:松浦史料博物館の茶室・閑雲亭では「百菓之図」掲載の菓子と茶がいただける=9月、筆者撮影)

 また、35代松浦熈(1791~1867年)は、上方や江戸からも菓子職人を招き寄せ、何度も試作と改良を繰り返して新たな菓子を創作させた。カスドースなど平戸伝統の菓子に、これら江戸時代の新作菓子を加えた100種類のお菓子のレシピ集を編さんした。

 平戸では現在、この百菓之図に由来した菓子の創作やブランディングが行われており、台湾向けの輸出品としても有望視されている。平戸の歴史がグローバルに認知され「お茶とお菓子」といえば、京都、金沢、松江より先に「平戸」が浮かぶようになるかもしれない。ただその前に、雑草の生えた「日本最古の茶畑」を「お茶の聖地」にふさわしい姿にせねばなるまい。

(Kyodo Weekly・政経週報 2021年11月8日号掲載)

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