食べ物語

獲りたてのマグロ生かす「ひゅうが丼」  大分・保土島の郷土料理  小島愛之助 日本離島センター専務理事

2021.10.18

獲りたてのマグロ生かす「ひゅうが丼」  大分・保土島の郷土料理  小島愛之助 日本離島センター専務理事の写真

 大分県津久見市の津久見港から北東約14㌔、四浦半島沖の豊後水道に浮かぶのが保戸島である。周囲約4㌔、面積0.86平方㌔であり、標高179㍍の遠見山を頂点として急傾斜地が海岸に迫り、ほとんど平地がみられない。

 このため、西側の海岸に迫る急斜面に3階建てのコンクリート造りの家がひしめくように立ち並んでおり、その様は漁村の風景というよりは、さながら地中海やエーゲ海に面した港町をほうふつとさせるものである。

 約700人の住民が暮らす保戸島は、1890年ごろに始まった遠洋マグロ漁業の基地として栄えてきた歴史を持っている。一時は漁船167隻、漁業従事者1000人という時代もあり、最盛期には年間140億円の水揚げがあったという。

 民俗学者の柳田国男は1921年に保戸島で2日間を過ごしたが、その際、島の人口の多い様子について「つまり島一つが大家内のやうなものだ」と「海南小記」に記している。

 四浦半島の先端までは大分県道611号四浦日代線が通じているが、保戸島と四浦半島との間の距離はわずか100㍍であり、県道と島とを結ぶ架橋の要望が住民の間には存在している。

 一方、島の側には大分県道612号長目中ノ島線が走っているが、海岸まで急斜面が迫る地形と住宅が密集しているという事情が重なって、最も狭い区間で幅1.2㍍となっており、日本一狭い県道ではないかといわれている。

 保戸島には忘れてはならない悲しい歴史がある。第2次世界大戦終戦間際の1945年7月25日午前9時20分、アメリカ軍のグラマン戦闘機が投下した爆弾が、保戸島国民学校を直撃し、児童124人、教師2人、幼児1人の命が失われたのである。

 当時の保戸島には、豊後水道を通って瀬戸内海に侵入する連合国軍の潜水艦を阻むため、これを探知するレーダーなどの海軍施設が置かれており、アメリカ軍の攻撃目標はこれらの施設だったのではないかといわれている。亡くなられた127人の遺骨は浄土宗知恩院の末寺海徳寺の骨地蔵に納められており、毎年7月25日には島をあげての法要が行われている。

 さて、保戸島の味であるが、何といってもマグロであろう。ただ、マグロの刺し身などではほとんど芸がないに等しい。保戸島では、マグロを「ひゅうが丼」(写真)として食している。甘めの醤油とすりごまのタレをマグロの切り身(赤身)にからませ、熱々のご飯にのせていただくのだ。

 厳しい環境下での肉体労働が要求された漁船の船上において考え出された漁師料理であり、過酷な漁の合間に素早く食べられ、かつ栄養が豊富な食事として語り継がれてきた料理である。獲れたてのマグロは新鮮ゆえに熟成が足りずうま味も少なくゴムのような弾力があるので、そうしたマグロをおいしく食べるためにも適しており、今では保戸島の郷土料理の定番として有名になっている。

 マグロを徹底的に味わいたい方には、刺し身や血合いのステーキ、かぶと焼きなども含まれた「保戸島のまぐろツアー」がお勧めである。津久見港から船で25分、ぜひ訪れてもらいたい。

(KyodoWeekly・政経週報 2021年10月4日号掲載)

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