情報化時代のおいしさとは 山下弘太郎 キッコーマン国際食文化研究センター
2020.11.02
中秋を過ぎて盛秋へと季節が移りました。暑さも一段落していろいろと活動しやすい季節です。今回のテーマとしてはやはり、食欲の秋でしょう。
しかし、いつもはみずみずしく甘み豊かな梨を味わう季節なのですが、今年は寂しい思いをしました。
夏場は梅雨時期の雨が野菜の生育に影響し、高値の時期がありました。このほか、秋に入っても梨などの果実類は夏の高温もあり収量が落ち、品質にも影響が出ているということです。
先日全国でも有数の梨産地である千葉の通称「梨街道」に行ってみましたが、ほとんどの直売所が早々と店じまいしていました。
一方で、今年店頭でよく見かけるのがシャインマスカットやナガノパープルといった高級品種とされるブドウです。
種がなく皮ごと食べられるだけでなく、そのジューシーな味わいから人気になっているようで、従来のデラウエアや巨峰から作付けを転換する生産者も多いようです。
シャインマスカットをふんだんに使ったパフェが2000円以上の店があるというから驚きです。
モノの値段、価値というものはさまざまな要因によって形成されています。それを得るためにかけられた手間、見た目や形、味などの品質、希少性などです。時にはブランドなども加味されるケースがあります。それではおいしさの価値はどうでしょう。
味覚には知覚閾値と判断閾値があるとされています(「味覚の臨床的研究」1960年、本田公昶著)。何も知らずに塩をなめた時の塩味と、あらかじめ塩だと分かっていてなめた時の塩味では感じ方に差が出るということです。
情報によって味を想定し判断することで、味覚の閾値に変化が起こることを示唆しているのです。
おいしさにも同様のことがいえそうです。一見おいしさというのは感覚的なもののように考えがちですが、おいしさにも企業会計でいう「のれん代(企業の純資産額と時価総額の差異)」のようなものがあるのではないでしょうか。
例えばマグロの刺し身を食べたとしましょう。まず食べてみて「うま味」と「甘味」を感じます。「それは大トロです」と言われ「なるほど、おいしい」と納得します。さらに「それは大間マグロです」と言われ「さすがにおいしい」という具合においしさの閾値、つまり度合が変化する経験は日常でもよくある現象です。
情報化社会といわれる現代、私たちの感じるおいしさは、判断閾値が優勢に働く傾向にあるのかもしれません。
先ほどの梨街道の話の続きですが、かろうじて開いていた店でも幸水、豊水、新高などの主要品種はすでに終了し、にっこりや王秋という比較的珍しい品種が並んでいました。(写真:王秋は果汁たっぷりできめの細かい食感=筆者撮影)
せっかくなので王秋を買ってみましたが、とてもおいしく、梨を食べたいという気持ちが十分に満たされる味でした。
(Kyodo Weekly・政経週報 2020年10月19日号掲載)
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