収穫の季節がやって来た 石田敦子 エノテカ バイヤー
2020.10.05
北半球での収穫が近くなるこの季節だ。「どうか生産者の皆さんが1年をかけて手がけたブドウが、無事に収穫できますように」と、自分は無力だが、毎年勝手に一方的に祈っている。
この季節、二つの「ラベルのないワイン」との出会いをふと思い出す。
初めてラベルのないワインを手にしたのは、2005年。ボルドーのシャトーで働いていた時のことだった。
そのシャトーでは従業員にラベルのないワインが毎月1ケース(12本)配られ、私も8カ月間、もらっていた。ブレンドの残り、プレスワインの残り、それらがまとめて瓶詰めされているので、まさにいい肉の切り落とし?的なワインである。
コルクにはビンテージが刻印されており、味わいは少しワイルドで、さまざまなエッセンスが凝縮していて、シャトーのDNAを探しながら、目に見えないラベルをイメージして飲むことはとてもぜいたくだった。
二つ目の出会いは、2012年。ペトリュス(赤ワインの銘柄)を長年手がけてきたワイン界のレジェンド、クリスチャン・ムエックス氏のボルドーにあるご自宅で食事をしているときで、収穫中に飲むワインの話がきっかけだった。
「収穫はワイン造りの中でも大切なひととき。毎年、収穫チームのメンバーと団結して、朝昼晩とワインを飲みながら乗り切るんだ。高いものは出せないけれど、僕がブレンドしたものを出す。大切なメンバーと飲むラベルのないワインをね」。そう話してくれた。(写真:ムエックス氏所有のブドウ畑での収穫風景=2018年9月)
ラベルもなければ、名前もない。初めて出会った切り落としワインもそうだったが、仲間のために詰められるワインには、愛があふれている。
ムエックス氏が携わるこのワインは「メニューに載らない一流シェフのまかないごはん」のような魅力があり、その場でエノテカの廣瀬恭久会長とともに、このワインを販売させてほしい、とお願いをしたのは言うまでもない。
「ヴァンダンジュ」というフランス語で収穫を意味する名前が付けられ、ラベルのあるワインは生まれた。
収穫する年、それがワインの「ビンテージ」である。天候は産地によってさまざま。その年ごとの特性があり、この要素もまさにワインならではだ。
「あなたにとってベストビンテージは?」そうムエックス氏に尋ねると、「それは次に仕込むビンテージだって言いたいな」そう彼は答えた。
いつまでも、これまでより良いものを造りたい。中身の勝負に挑み続ける生産者は彼だけではない。造り手は、毎年ブドウの品質を追求し、そのラベルに誓い、想いを込めて完成させる。1年に一度の収穫、2020年も楽しみだ。
エノテカはワインの輸入販売を幅広く手掛ける。廣瀬恭久会長が1988年に創業した。
(Kyodo Weekly・政経週報 2020年9月21日号掲載)
最新記事
-
明治大正期に大衆化 郷愁感じる「縄のれん」 植原綾香 近代食文化研...
外の空気が冷たくなってくると、赤ちょうちんの情景が心に浮かび、手狭で大衆的な居...
-
何個も食べられる甘さ加減 あばあちゃんのおはぎ 眉村孝 作家
宮崎駿監督のアニメ「となりのトトロ」で、サツキ・メイ姉妹の一家が田舎へ引っ越し...
-
おおらかに味わうシメの1杯 「元祖長浜屋」のラーメン 小川祥平 登...
古里の福岡を離れた学生時代、帰省の際は旧友とたびたび街へ繰り出した。深夜まで痛...
-
指なじみと口触りで変わる味 飲食店の割り箸の歴史 植原綾香 近代食...
マレーシアに赴任した大学の友人から電話がきた。マレー料理のほかにも中華系の店も...
-
街ごと楽しむ餃子 宇都宮で「後は何もいらない」 眉村孝 作家
6月下旬の週末の夕方。宇都宮市に単身赴任中の先輩Zさんと合流すると早速、JR宇...
-
東京にある「古里の味」 73年から豚骨ラーメン 小川祥平 登山専門...
京都小平市の西武鉄道「小川駅」から歩く。近づくにつれて漂ってくるにおいに「あれ...
-
あめ色に煮込んだカキ 宮城・浦戸諸島の味 小島愛之助 日本離島セン...
日本三景の一つである宮城県・松島湾に浮かぶ浦戸諸島、250を超える島々で形成さ...
-
特別なキーマカレー 利根川「最初の1滴」食べた 眉村孝 作家
「利根川の最初の1滴をくみ、みんなで朝のコーヒータイムを楽しみませんか」。こん...
-
戦火のがれきからよみがえった酒 沖縄、百年古酒の誓い 上野敏彦 記...
県民の4人に1人が犠牲になった沖縄戦。今年の5月15日は沖縄が日本に復帰して5...
-
カフェー情緒が濃厚だったころ 版画「春の銀座夜景」に思う 植原綾香...
仕事を終えて外にでると、蒸した空気に潮の香りが混ざっている。夏が来たと思う瞬間...