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おいしい給食の過去  小視曽四郎 農政ジャーナリスト  連載「グリーン&ブルー」

2023.08.14

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おいしい給食の過去  小視曽四郎 農政ジャーナリスト  連載「グリーン&ブルー」の写真

 学校給食を無償にし、地場産有機米を使う自治体が増えている。6月、全国32の市町村やJA、生協などで全国組織(全国オーガニック給食協議会)も発足した。(写真はイメージ)

 有機米は農薬や化学肥料に極力頼らず安全だが、その分、労力は増え、逆に収量は慣行栽培より低い。コストは増え、購入価格は当然高くなる。ある自治体では60キロ当たり原価15千円に5千円上乗せし2万円に、別の市では精米30キロ当たり24千円など。どこも予算確保に苦労する。だが、文字通り地産地消。児童・生徒や教師、管理栄養士らが農家の人たちと畑や田んぼで談笑し、地元農業を学ぶ光景を想像するだけで楽しい。新鮮で安全でおいしいご飯を食べられる子どもたちは幸せだが、その顔を見る地元の大人たちも喜ばしいだろう。

 有機米給食提供で誕生した全国組織の事務局を務める千葉県いすみ市では「地域ぐるみで子どもを育てる環境」を目指し、市予算の4割を子育て関連に当てる。8年前の2015年に有機米と有機食材の給食を導入したところ、それを子どもたちを通じて知った親が地場産米を買うようになったとか。有機米はブランド米となり、全国から注文もある。子どもたちへの教育効果、農業振興のほか、移住促進効果もあるという。

 1954(昭和29)年に学校給食法が施行され本格的な給食が開始。だが、当時は国内での食材調達は不調。敗戦国日本を占領していた米国からの援助に頼らざるを得ず、その間の交渉や日米関係は今でも記憶すべきことも多い。その代表は「相互安全保障法(MSA)」(543月調印)と「農産物貿易促進奨励法(PL480)」(547月にMSAを改定)の米国からの両協定だ。

 占領直後は比較的人道的な姿勢だった米国だが、52年から53年にかけ小麦が記録的な豊作となり国際価格が低迷。余剰分の行き場が問題化した。それを受け、制定されたのがMSAだった。食糧援助をする代わりに軍事的経済的な強制を求める。当時の吉田茂首相は政権基盤強化のため締結を決め、小麦60万トン、大麦116千トンを受け入れ、その売却資金で自衛隊を発足させ、米国を軍事顧問に迎えた。

 MSAを改定したのがPL480。余剰作物の売却金による長期、低利借款、余剰作物の災害援助、給食への作物の無償援助が内容。給食向けは援助としつつ米国産農作物の市場開拓が狙い。他方、共産圏への防壁の思惑も。米国は給食を通じ、日本を操ろうとしたのである。この後、キッチンカーでコメ食批判。一連の動きは米国の「小麦戦略」と言われ、日本人の食生活様式が激変する。

 食料を他国に頼る怖さを実感するが、コメ消費量は今や1人当たり往時の半分以下の508キロ(2022年)である。有機米給食の広がりがいつかこの低下に歯止めをかけ、逆に巻き返すことを期待したい。

Kyodo Weekly・政経週報 2023731日号掲載)

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