食べる

広がる「腸内環境市場」  細菌研究進む  田中太郎 共同通信編集委員

2023.06.12

ツイート

広がる「腸内環境市場」  細菌研究進む  田中太郎 共同通信編集委員の写真

 今、「腸内細菌」の研究が熱い。消化器疾患だけでなく、多くの病気の発症や悪化に関わっていることが分かってきた。それだけではない。例えば持久力など、人のさまざまな能力とも関連がありそうなことも見えてきた。既に1500億円規模とされる腸内環境市場の拡大は必至で、多くの企業が参入を図っている。

 人の大腸には40兆個とも100兆個とも言われる細菌がすみ、すべてを合わせた重さは1㌔を超えるという。腸内細菌は約1000種類とされ、個々の体内ではそのうちの100種類程度が腸内細菌叢(フローラ)を形成するが、その構成は人種や居住地、年齢、生活習慣などで人により異なる。

 腸内フローラがあるのは人だけではない。コアラが普通は消化できないユーカリの葉を食べられるのは、消化管にいる細菌の助けを借りているためだ。いわば持ちつ持たれつの「共生関係」が太古から存在する。

 フローラは口の中や皮膚の表面にもあり、そのバランスの乱れが健康を害する。バランスが崩れた状態を最近は「ディスバイオーシス」と呼ぶようになった。

 腸内フローラの乱れは大腸がんや炎症性腸疾患(IBD)、過敏性腸症候群(IBS)など腸の病気につながるだけでなく、動脈硬化や糖尿病などの生活習慣病やアレルギー性疾患や認知症、うつ病、自閉症など全身の病気につながることが続々と報告された。

運動能力にも関わり


 長く腸内細菌を研究してきた慶応大先端生命科学研究所の福田真嗣特任教授は、青山学院大陸上競技部の協力を得て部員の腸内環境を調べた。その結果、バクテロイデス・ユニフォルミスという菌が多いランナーほど長距離走のタイムが良いことを突き止めた。

 この菌が分泌する物質が肝臓でエネルギー源のブドウ糖を作らせ、持久力を上げる仕組みも解明した。腸内細菌は病気だけでなく、運動能力にも関わっていたわけで、福田さんは「将来、記憶力を上げてくれる腸内細菌が見つかるかもしれない」と笑う。

 腸内細菌は食物繊維を食べて増えるが、菌によって食の好みは異なる。そのため、その人の腸内フローラをどう健全に保つかは「何を食べるか」も重要になる。

 食品メーカーのカルビーは福田教授らと共同で、その人の腸内フローラを調べ、6種類用意した細菌の餌となるシリアル食品のトッピングから、その人に合った3種類を定期購入できるサービス「ボディ グラノーラ」を4月から始めた。機能性食品でも腸内細菌に目を向けた流れは生まれている。

治療用にも


 一方、治療分野で大きな動きがあったのは、抗菌剤で除菌をした上での「腸内細菌叢移植」。厚生労働省は、大腸に炎症や潰瘍が起きる指定難病「潰瘍性大腸炎」の患者を対象に、保険診療とすべきかを評価する「先進医療B」に承認した。実施施設や症例数は限られるが、保険適用へ一歩近づいた。

 欧州で2013年、抗菌剤の長期投与で起きる感染性腸炎が、健常人の腸内細菌叢の移植で改善すると報告され「便移植」と注目された。実際は便そのものではなく、便から抽出した細菌叢を液体に溶かして移植する。米国とオーストラリアでは昨年11月、移植用の腸内細菌叢溶液が感染性腸炎の治療用に薬事承認され、既に通常の診療になった。

 順天堂大では14年、3種類の抗菌薬を2週間服用し、事前に乱れたフローラを一掃する工夫を石川大・准教授(消化器内科)らが加え、潰瘍性大腸炎患者への腸内細菌叢移植の臨床研究を開始した。

 昨年末までに、便を提供する健康なドナー160人以上と患者210人以上が研究に参加、約70%で治療効果を確認した。症状改善でのバクテロイデスという細菌種の存在の重要性や、きょうだい間や同世代間の移植の方が長期成績が良いことなども判明した。

 石川さんは「治療効果が出る患者とドナーの相性や、移植が効く、効かないの違いが出る原因、最適なドナーの条件など、いろいろなことが分かってきた」と話す。

 昨年5月に倫理委員会の承認を受け、学内に腸内細菌叢バンクを開設。ベンチャー企業メタジェンセラピューティクス(山形県鶴岡市)とドナー募集から選定、腸内細菌叢溶液の作成までを行う体制を整えた。

潰瘍性大腸炎で研究


 1月からドナー募集を開始し、2月末時点で12人のドナーを選定し、移植治療を開始。同大順天堂医院(東京都文京区)と同静岡病院(静岡県伊豆の国市)、金沢大病院の3施設で、来年3月までに37人を治療する計画だ。

 患者は16歳以上、中等症までの直腸型以外の潰瘍性大腸炎で、最初の治療に使う5ーASA製剤が効かない人から選ぶ。除菌後の大腸に内視鏡で腸内細菌叢を大量に移植。さらに2回、注腸で細菌叢を追加し、8週後の内視鏡検査で効果と安全性を確認する。

 離脱が難しいステロイドを使う前の治療とする。これまでの研究で、ステロイドなどで免疫を抑えた後の移植は効果が弱いと分かっており「早い段階で使うことで十分な治療効果が期待できる」と石川さん。

 結果が出れば次は、副作用の懸念で免疫抑制やステロイド治療が難しい小児や、同じ炎症性腸疾患のクローン病への適用拡大を視野に入れる。

 腸内細菌は多くの疾患と関連するだけに、細菌叢移植の可能性は広く、治療費抑制も期待できる。ただ石川さんは「まずは潰瘍性大腸炎でしっかり結果を出したい」と話している。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年5月29日号掲載)

最新記事