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常連も並ぶふくちゃんラーメン  豚骨文化支える「ちゃん系」  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長

2023.03.06

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常連も並ぶふくちゃんラーメン  豚骨文化支える「ちゃん系」  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長の写真

 郊外にあるにもかかわらず、福岡市随一の人気店と言っていい。とある平日、開店時間の11時前に「ふくちゃんラーメン」に到着すると、すでに行列ができていた。受け付け表に名前を書き込む。39人目だった。

 カン、カン、カンカンッ。待っている間、リズミカルな音が聞こえてきた。窓越しにのぞくと、湯切りの音だと分かる。店主の榊伸一郎さんは厨房の定位置に立ち、ザルを鍋の縁に打ちつけて湯を切っている。(写真:定位置で麺上げをする榊さん=筆者撮影)

 小一時間待って一杯にありついた。並々に注がれたスープは熱々。口に含むと豚骨のだしが広がる。最初こそ軽やかなれど、コクがあり、香りは膨らんでいく。スープの量も多く、1玉ではもったいない。思わず注文した。「替え玉くださ~い」。

 店のルーツをたどると福岡市の老舗「しばらく」に行き着く。外村泰徳さん(故人)が、1953年に大浜特飲街(博多にあった赤線地域)で始めた店だ。当初はうまくいかず、場所を西新(福岡市西部の繁華街)に移してから人気が出た。特飲街の用心棒をしていた外村さん。強面で怖がられていたが、味は確かだった。

 巣立った弟子も多い(東京・水天宮前にも「しばらく」はあります)。そのうちの一人が福吉光男さん(故人)だ。榊さんの親戚にあたる福吉さんは75年に西新のほど近くの百道にふくちゃんラーメンをオープン。しかし体調を崩したため、80年に榊さんの父、順伸さんが引き継いだ。

 百道一帯は平成に入ると大きく変わった。89年にはアジア太平洋博覧会が開かれ、その跡地に福岡ドーム(現・ペイペイドーム)が開業した。当然、ふくちゃんにも客が押し寄せた。ところが人気ゆえの問題が生じる。違法駐車が多く、近隣から苦情が噴出。94年やむなく現在の場所に移転したというわけだ。

 「ここは父の定位置でした」。榊さんはいつも自分が立つ場所について話してくれた。仕事中は無口でいかにも「頑固おやじ」だった順伸さんは2005年に他界した。以来、ずっとこの場所で湯切りをしている。堂々とした現在の姿からは想像できないが、最初は緊張して顔も上げられなかったそうだ。

 この定位置から、鋭い視線でいろいろなものを見る。行列の人数。グループか、1人か。子供が何人いるのか。食べるスピード。常連なら、ゆで加減の好みも把握している。

 客席から見ると厨房は舞台にも感じる。それも大きなホールではなく、小劇場。舞台と客席が近く、息づかいが聞こえる。自然と客と舞台がコミュニケートする。そんな雰囲気がここにはある。

 家賃や光熱費、材料費が高騰するなど個人経営の店を取り巻く環境は厳しい。そんな中でも、ファンが付き、ファンに支えられた店は強い。榊さんの姉たちをはじめ、ふくちゃん出身者たちも各地で店を出している。どこも屋号に「ちゃん」がつくので、「ちゃん系ラーメン」とも言われる。

 この日、僕の両隣は常連さんだった。いつも列に並んでまで食べているのか、と驚く。全国に知られるのはチェーン店だが、このような個人店の存在こそが豚骨文化を支えている。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年2月20日号掲載)

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