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有機農業「面」に広げる  金子美登さん死去  共同通信アグリラボ所長 石井勇人

2022.09.27

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有機農業「面」に広げる  金子美登さん死去  共同通信アグリラボ所長 石井勇人の写真

(有機農場での金子美登さん=2008年3月27日、埼玉県小川町)


 農薬や化学肥料を使わない有機農業の第一人者で、しもざと有機野菜塾(埼玉県小川町)を運営してきた金子美登(かねこ・よしのり)さんが9月24日、心筋梗塞のため死去した。74歳だった。農場の見回りに出掛け、軽ワゴンの運転席で倒れていたという。

 筆者はゴルフをやらない。14年前に覚えかけてやめた。金子さんに出会ったからだ。当時、金子さんは小川町下里の集落全体を有機農業に転換しようと周囲に働きかけ、理解者を増やし、町議会議員も務めていた。

 「細心の注意を払っても、使っていないはずの農薬が検出される。微量でも出てしまえば有機栽培ではなくなってしまう」。有機農業を続ける上で、金子さんが格闘する相手は雑草や害虫ではなく、ゴルフ場だった。芝に散布する農薬が下流に流れ、流域の有機農家の努力を水の泡にする事態が、あちこちで起きていた。日本のゴルフ場はほとんどが主要河川の上流にあるから、微量とはいえ「汚染面積」は広大だ。

 ゴルフの面白さが少し分かりかけた時期だったが、有機農業に悪影響を及ぼすことに想像が至らなかった。自分の無知ぶりを大いに恥じ、ゴルフ熱はその時点で冷めた。それどころか、庭や堤防に散布される除草剤が最終的にどこに流れて行くのか、とても気になるようになった。金子さんは多くを語らないけれど、人に「気付き」を与え、行動に導く不思議な説得力があった。

 農林水産省が導入した「有機JAS認証制度」の厳しい規格は、かえって有機農業のハードルを高くした。環境に対する意識が高く優れた栽培技術を持つ農家でなければ、有機栽培は難しいという誤解が広がっていた。

 これに対して、金子さんは、有機農業は「孤軍奮闘」では意味が無い、地域全体を巻き込むことが不可欠で、「点ではなく面」であると考えた。集落全体を有機農業化していくという金子さんの信念は、ゴルフ場との格闘の中で生まれたのだろう。

 農家の後継ぎに生まれた金子さんは、農林水産省農業者大学校の第1期生として1971年に卒業、直ちに有機農業を実践した。有機農業の「思想」や「意義」は学校や、作家の有吉佐和子さんとの親交で学んだのかも知れないが、小さな農場で多品種の野菜を育て、アトピー性疾患などがある子どもを持つ家庭に宅配する形で都市住民と提携し、事業として成立させた先駆者だった。

 国内外の研修生を常時受け入れ「農作物よりも人間を育てる時間の方が圧倒的に多い」と苦笑していた。毎年7、8人の研修生が北海道やアジアなどに散っていく。累計で150人を超えたという。金子さんと出会って3年後に米国ウィスコンシン州で地域支援型農業(CSA)を取材中、有機栽培農家が「テイケイ(提携)」「カネコ・メソッド(金子方式)」と語るのに驚いた。

 金子さんが目指した「面的な広がり」は、昨年農水省が掲げた「みどりの食料システム戦略」で、全国に展開する足掛かりを得た。もう少し長生きして、目標が達成されるのを見てほしかった。合掌。(文・写真、共同通信アグリラボ所長 石井勇人)

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