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もう一つの3・11  語り継ぐ農業用ダム湖の決壊  小池智則 共同通信福島支局長

2022.05.30

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もう一つの3・11  語り継ぐ農業用ダム湖の決壊  小池智則 共同通信福島支局長の写真

 福島県のほぼ中央部、須賀川市の山あいに慰霊碑がある。「悲劇を二度と繰り返さないよう後世に語り伝える」。ここは2011年3月11日に発生した東日本大震災の被災地。ただ、津波でも原発事故でもない。「内陸の大水害」の現場だ。

 震災で須賀川市は震度6強の激震に見舞われた。中心部にある市役所庁舎は損壊が激しく使用不能に。農業用ダム「藤沼湖」が決壊し、約150万㌧もの水が抜け落ちて下流の川に流れ込み、集落を襲った。7人が亡くなり、1人は今も行方が分からない。家屋22戸が流失・全壊し、床上・床下浸水は計109戸と甚大な被害だった。

 東日本大震災は、津波と原発事故がもちろん最大の被害だが、それだけではない。

 地元住民でつくる実行委員会が震災10年の昨年、慰霊碑を建立。さらに今年、記録誌「あの日を忘れない~そして語り継ぐ未来へ~」を刊行した。実行委員長で地元の行政区長を務める柏村國博さん(66)は、慰霊碑と記録誌づくりに取り組んだ動機を「記憶が薄れないように、文字で伝える必要があると思った」と話す。

 記録誌には、濁流で削り取られた家々やがれきなど生々しい写真や証言が収められている。「決壊したぞ、逃げろ」という声で必死に逃げた人。「水がどこから来たのかと思っていたら、あっという間に増えた」と言う人。「バキバキ、ボキボキ」という大きな音とともに、杉の木と水が鉄砲のように飛んできたと振り返る人。まさに「津波」そのものだった。

 住宅が流された地区はかさ上げして防災公園として整備され、慰霊碑はそこに建てられている。(写真:慰霊碑の前に立つ柏村國博さん=4月22日、福島県須賀川市、筆者撮影)

 「突然の決壊で亡くなった方々の無念さを忘れてはいけない。起きた事実を形として残したい」と柏村さん。さらに、被害をもたらしたダムが「悪者ではないことも伝えたい」と話す。藤沼湖は農業用ダムとして地域を潤し、農家の暮らしを支えてきた。こうした時代背景も記し、教訓を学べるよう工夫したという。

 あまり知られていない「もう一つの3・11」。福島・宮城・岩手の「被災3県」という言い方をしてしまうことが多いが、東日本大震災で亡くなった方は1万5900人(3月時点)。3県のほか北海道、青森、山形、東京、茨城、栃木、群馬、千葉、神奈川と広い範囲に及ぶ。行方不明の方2523人も福島・宮城・岩手のほか、青森・茨城・千葉にいる。

 原発事故では福島だけでなく、隣接する宮城県南部など農産物の出荷制限を受け、再起を図っているところも多い。

 日本全体が被災した大災害。「震災も10年、11年が過ぎたから...」と思ってしまいがちだが、語り継ぐべきことは、まだたくさんある。

(Kyodo Weekly・政経週報 2022年5月16日号掲載)

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