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小中学生の半数が山海留学生  菅沼栄一郎 ジャーナリスト  連載「よんななエコノミー」

2023.12.18

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小中学生の半数が山海留学生  菅沼栄一郎 ジャーナリスト  連載「よんななエコノミー」の写真

 鹿児島県の南に連なるトカラ列島の南端に、宝島はある。

 中学1年の山海留学生、田中光結(みゆ)さん(13)は「毎日が忙しくて楽しくて」。小学4年の時、「人が少ない地域のほうが暮らしやすい」と福岡市の親元から離れて宝島にやってきた。今年11月中旬の「収穫祭」では、「黒糖ピーナッツ」を参加したお母さん方に配った。

 小中学校の裏にある畑で4月から育てた落花生を10月に刈り取り、「砂糖といっしょにフライパンで。混ぜ具合が難しいんですよ」。22人の児童・生徒全員で役割分担して作る。

 秋は特に忙しい。

 11月初めの文化祭では、ドラム缶で作った南国の楽器「スティールパン」をたたいた。9月末の十五夜の晩は、子どもたちが各家庭を回ってお菓子をもらう「みかんたもーれ」。

 「春に子ども会の会長になってね。相撲大会の段取りも含めて、大人たちと企画を相談するのが、得意なのかな」。里親の前田梅子さん(71)が、まぶしそうに見守る。彼女は里親のベテランだ。静岡県にいる一人娘の孫娘2人も預かる。「これまで預かった留学生は、両手に余るかな」

 光結さんは163センチの背丈を頼りにされて、毎週金曜の晩には大人たちのバレーボール練習にも駆り出される。将来は「子どもが好きだから保育士になりたい」。自身の子どももほしいそうだ。「5人くらい。この島に帰って育てたい」。島生まれのご近所の保育士「優花姉(ゆかねえ)」を尊敬している。

 十島(としま)村の山海留学生制度は、有人7島の「学校存続」対策として1991年に始まった。スタート当初はなかなか効果が上がらず、初年度は小学生が1人だけだった悪石(あくせき)島をはじめ、児童生徒数が1桁の状況が続いた島も複数あった。

 ただ、2002年に留学生が全島合わせて10人に届いた前後から、多くの島で児童生徒数が2桁で安定。19年に30人の大台に乗って弾みがつき、今年は59人と倍増した。小中学生は113人で、半数以上を留学生が占めている。

 一方で、里親の高齢化が目立つことから、村は7年前から学生寮の建設に乗り出し、宝島の寮は現在建設中だ。

 悪石島の住み込みの寮監を探していたら、何とフランス人と日本人の夫妻が2人の娘さんとともに仏西部の地方から移り住んだ、とのこぼれ話もある。

 国土交通省によると、十島村のように留学生を募集している地域は、全国で小中学校が50地域、高校が27地域に上る。ただし、人口増に結び付くとは限らない。十島村の人口は、この10数年で600~700人余りを行ったり来たりしている。

 10月18日には、コロナ禍で中止が続いていた「関東トカラ会」が3年ぶりに東京で開かれたが、出席した村幹部は「看護師や保育士の人手不足」を訴えた。村山勝洋・総務課長は「元気な子どもたちの声は、村全体を元気にする。人口増にもつながればいい」。

 宝島には「昭和」にあったような、子どもたちを地域で育てる習慣が残っている。梅子さんから優花姉、そして光結さんへつながる暮らしぶりに同じ思いが見えた。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年12月4日号掲載)

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