生物多様性が飢えの時代をしのぐ 舟越美夏 ジャーナリスト 連載「リアルワールド」
2023.06.19
梅雨のような雨、真夏の気温。今年の春は、なんだか不安になる天気が続いている。
「雨の降り方が変わった、とネパールの母ちゃんたちも言うんです」。ベトナムで25年にわたり農業支援を続けている伊能まゆさん(写真右、本人提供)が最近、ネパールの旅の話をしてくれた。NPO法人「Seed to Table」代表である彼女は、土地の特性を生かした持続的な地域発展を農家の人々や若者たちとともに探る活動を続け、ベトナム政府からも高い評価を得ている。普段はベトナム南部のデルタ地帯が拠点だが、2週間ほど山岳国ネパールの農村を回ったという。
「ヒマラヤの氷河が縮小しているとは聞いていたけど」。聞いたふうな相槌を打ったが、正直に言うと雨の降り方が変わると何が起きるのかピンと来なかった。
「例えばベトナムでは」と伊能さんは説明してくれる。マンゴーは乾季に花をつけ、雨季の直前に実の収穫を迎える。しかし、花が咲く時期に雨が降ると、花が落ちて実を結ばない、または木が病気になりやすくなる。「これまでの作付けのサイクルでは、以前のように収穫できなくなっている」。これが作物全体に起きている。食べ物に困る時代が近づいているということだ。
恐ろしい。黙り込む私に、伊能さんはキッパリと言う。「生き延びるためには、生物多様性と自然を守る。これしかありません」
ネパールもベトナムも戦争や内戦などで、満足に食べられなかった時代は遠い昔のことではない。村の人々は、生き延びられたのは、雑穀などの在来の植物や木の実、川の魚やタニシを食べられたからだと、伊能さんに教えたという。豊かな自然の恵みが人々の命を救ったのだ。
世界中で今、生物多様性が失われつつある。例えば、ネパールの村には50〜60種類のイネの固有種が代々、受け継がれてきた。それらは、大量に収穫できるハイブリッドのタネに押されて失われつつある。気候変動に対応できないハイブリッド種だけに頼っては、危険だ。その土地に合った多様な固有種を組み合わせながら細々とでも植え続け、固有種の作物を残す。また植林や伐採で荒れてしまった山々に手を入れて豊かな植生を復興させる。「地道にやって乗り切るしかないのです」と伊能さんは言う。
ネパールでは、若者や男性の多数が国外に出稼ぎに行くため、農業に従事するのは、留守を守る「母ちゃん」と「おじいちゃん、おばあちゃん」だ。
母ちゃんたちは厳しい時代を敏感に感じ取っている。「村を守りたい」「受け継いできた景色や食文化、地域のつながりを守りたい」。強い意志で伊能さんにアドバイスを求めた。伊能さんは「生態系を崩す安価なインド産化学肥料を使わずに有機農業を進めること」「その土地ならではの加工食品を作ること」などを伝えたという。
日本に住む私たちの大半は、雨の変化と飢えの時代を結びつけない。変化の時代を生き延びるための心構えは、まだない。伊能さんと話した後、縮小するヒマラヤの氷河を見て、これからを考えたくなった。では行ってきます。
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