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メニューデザインでおもてなし  情報発信、旅の思い出に  植原綾香 近代食文化研究家

2023.03.27

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メニューデザインでおもてなし  情報発信、旅の思い出に  植原綾香 近代食文化研究家の写真

 手元に1枚のメニュー表がある。神奈川県箱根町の富士屋ホテルのディナーメニューを宿泊記念に持ち帰ったものだ。雪が舞う台紙に英語と日本語が併記されたコースメニューが書かれ、日付印が押されている。見返すと素晴らしかった旅を思い出す。

 世界的な観光ブームが到来したのは、鉄道や航路などの交通網の整備が発達した第1次世界大戦後の1920年代とされる。外貨獲得や戦争を背景にした日本に対する友好ムードをつくりあげるといった目的で、日本は外国人観光客の誘致に力を入れた。

 鉄道院を母体に1912(大正元)年に設立されたジャパン・ツーリスト・ビューロー、そして30年には鉄道省国際観光局と外郭団体の国際観光協会によって、印刷物や映画を通じた日本の観光イメージの創出が取り組まれていた。

 その内容はプロパガンダ的ともいえるが、観光ガイド、ポスターなどには扇子、着物、力士、富士山といった日本を象徴する絵柄が使用され、海外に向けて発信する日本のイメージにつながっていく。客船やホテルで提供されたメニュー表もまた外国人観光客に向けた日本をアピールする一つのツールだった。

 日本郵船歴史博物館によれば、客船内で使われていたメニューデザインには、浮世絵、帝展出品作品の絵画、日本の景勝地の写真といったものがあった。興味深いのはメニュー表が食事の献立を示すという本来の目的だけでなく、美術品に相当する質を持つように作られ、手紙としても使うことができる仕掛けを持っていた点である。

 それらは、自分自身のお土産にすることもできたであろうし、遠く離れた友人や家族に美しい日本の旅を伝える1枚にもなったであろう。(写真:1930年「秩父丸」ディナーメニュー、竹久夢二画、日本郵船歴史博物館所蔵)

 ホテルもまた客船と同じように浮世絵や名所を取り入れた優れたメニューデザインを使用しており、共通して使用した作品も見られる。

 実は私が持ち帰った富士屋ホテルのメニューの裏面には、英語で日本の国旗について説明する内容が印刷されている。これは戦前に外国人客から受ける日本に関するさまざまな質問の答えをメニュー裏に印刷したのが始まりである。

 当時セットにして譲ってほしいという要望もあり、「We Japanese」という一冊の本にまとめたところ、価値のあるお土産として人気が出たそうだ。

 戦前の日本に暮らしたイギリス人のキャサリン・サンソムは、日本人は「時間とお金と配慮を惜し」まず、「お客を大いにもてなす」と記録している。

 社会的な背景を見れば、メニューの仕掛けは、観光政策の一つの取り組みであったかもしれないが、そこには客を楽しませようという「もてなしの心」がまず先にあったのではないかと思っている。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年3月13日号掲載)

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