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戦争の傷跡、各地に  つないでいくべき記憶  藤波匠 日本総合研究所調査部上席主任研究員

2023.01.30

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戦争の傷跡、各地に  つないでいくべき記憶  藤波匠 日本総合研究所調査部上席主任研究員の写真

 先日、羽田空港内の行き先表示に見慣れぬ地名を見つけました。硫黄島ー。

 太平洋戦争で激戦地の一つであった硫黄島は、現在自衛隊の管理下におかれ、航空機による定期便は就航していません。この硫黄島行きの飛行機は、国主催の硫黄島慰霊の団体を乗せたチャーター便で、日帰りで羽田と硫黄島を往復する予定とのことでした。

 出発ロビーで待機している方々は、硫黄島での戦没者の子、孫の世代が中心とお見受けしましたが、それでもご高齢の方が多く、彼らの間を赤十字の腕章をつけた医療関係者がせわしなく動き回っていました。

 国主催の慰霊団は、硫黄島のほか中国の旧満州、東南アジアの各国、さらにはシベリア抑留の舞台となったロシアなど各地に派遣されていますが、コロナ禍以降は、規模縮小や中止を余儀なくされているようです。

 終戦から77年が経過し、国民の大半が戦後生まれとなったわが国においても、今回気付いた「硫黄島」の行き先表示のように、ふとしたきっかけで、戦争があったという事実を思い起こさせる出来事に出くわすことがあります。特に全国を旅していると、そうした経験をすることが少なくありません。

 例えば駅です。鉄道は、多くの人が集まるだけでなく、物資や人の輸送を担う重要インフラであったことから、米軍の重要ターゲットとなり、機銃掃射の攻撃を受けることが多かったようです。古い駅舎には、その時の傷跡がしっかりと残っていることがあります。

 東京近郊の駅でもそうした遺構を見ることができますが、築120年を誇る鹿児島県の大隅横川駅もその一つで、駅舎の柱に機銃掃射の跡が残っています。事前に知っているか、詳しい人に教えてもらわなければそれとは気付かない小さな傷跡かもしれませんが、それでも関係者や地域の方が、当時の記憶をしっかりととどめる努力をしてきたのでしょう。

 北海道大学を訪れた際には、大学キャンパスが、学徒出陣の壮行会場であったことを知りました。学徒出陣に際して行われた壮行会としては、明治神宮外苑競技場で行われたものが有名ですが、同様のイベントは全国各地で実施されました。北海道大学の資料の中に、歴史的な建造物である農学部の校舎を背景に行進する学生たちの写真がありました。

 さらに、どこにでもある戦没者慰霊碑では、わが国が、明治から昭和初期にかけて、まさに戦争の時代であったことを実感させられるものがあります。九州で見かけた慰霊碑には、一つの慰霊碑で、明治以降のすべての戦没者の名前が、戦役ごとに記されていましたが、一番古いものは西南戦争でした。

 ある小さな集落で見かけた慰霊碑には、過疎化の進行で減ってしまった集落の全人口よりも多い数の戦没者の名前が記されていました。いまは過疎で高齢者ばかりとなってしまった山里にも、郷土を守るために戦いに赴いた多くの若者たちがいたという確かな証です。

 最近は、ウクライナ戦争を背景に、防衛費増額が議論されていますが、私たちには未来につないでいくべき戦争の記憶が至るところにあることを、「硫黄島」の3文字が思い起こさせてくれました。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年1月16日号掲載)

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