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「模造富士」築き飲み食い  雨宮敬次郎の園遊会  植原綾香 近代食文化研究家

2023.01.09

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「模造富士」築き飲み食い  雨宮敬次郎の園遊会  植原綾香 近代食文化研究家の写真

 縁起の良い初夢といえば、「一に富士(不死)、二に鷹(高い)、三に茄子(成す)」と言われるように、富士山は古くから縁起物として愛されてきた。そんな富士山の中で還暦祝いのパーティーが開かれたことがあるのをご存じだろうか。正確にいえば、その富士山は「模造富士」といって、ニセモノの富士山なのだが、これがなかなか面白い。

 模造富士は、江戸から明治期に東京23区内に作られたものだけで50カ所以上あったとされており、その背景には、富士山を信仰する富士講が庶民の間で広まったことが挙げられるが、高いところに登り眺望する物見の楽しみもあったとされる。

 中でも興味深いのは、1887(明治20)年に浅草公園六区につくられた富士山縦覧場で、当時の錦絵や写真にはヤドカリの殻のような、巨大なかき氷のような、奇妙な模造富士を見ることができる。ぐるぐる回りながら登ると頂上には望遠鏡がありテーマパーク的な面白さがあったようだ。(図:歌川芳盛「吾妻新橋金龍山真景及ヒ木造冨士山縦覧場総而浅草繁栄之全図」(1887年)、東京都立中央図書館蔵)

 ちょうどこの頃から貴族や富豪らは、西洋のガーデンパーティーにちなんだ園遊会を自宅や別荘の庭で開いていた。1906(明治39)年、実業家の雨宮敬次郎も自宅の庭で還暦祝いの園遊会を催した。当時の園遊会は、広い庭園の池や築山の周りに簾掛けの出店を設け、ビール、そば、汁粉、すし、おでん、マツタケの蒸し焼き、果物、菓子、シャンパン、西洋料理などを振る舞う愉快なものだった。

 雨宮が用意した築山は巨大な模型富士で、「風俗画報」や当時の新聞によれば、1万1000本の丸太を組んだ富士は高さが約22.5㍍で、5合目以上の雪を頂ける富士を模し、柿葺きの上は一面に水色、浅黄、白の三色の木綿で包まれていた。山腹を螺旋形に進むと山頂に登ることができ、来賓は好奇心に駆られ先を争い登ったという。

 雨宮だけに当日の天候は雨で、「お山が暴風雨ですから、しばらく登山は見合わせたほうがよろしいでしょう」という冗談も聞こえたという。そして富士の裾穴より中に潜ると、風雅な宴会場が広がっていた。

 縁起物の大きなヒョウタンが吊るされ、自然のものと見紛うほど天井の隅々にまで飾られた紅葉の下に、色彩豊かな衣装に身を包んだ来賓客が集まった。フォークを鳴らし、おいしい料理を食べ、美酒に酔うのは「感興無くんばあらず」だった。

 政治家や実業家ら2000人余りが招かれ、時の首相西園寺公望や米国大使も出席した。調べるほどに奇抜なイベントすぎて、今聞いても参加してみたいと思う祝宴会である。

 それにしても12月は忘年会などの宴が多く出費がかさむ。初夢には「どうか富士へ登る白蛇を」と願ってしまう年の瀬です。

(Kyodo Weekly・政経週報 2022年12月26日号掲載)

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