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「巨大顕微鏡」仙台に  次世代放射光施設、ナノの世界を可視化  影井広美 ジャーナリスト、元共同通信編集委員室長

2022.11.07

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「巨大顕微鏡」仙台に  次世代放射光施設、ナノの世界を可視化  影井広美 ジャーナリスト、元共同通信編集委員室長の写真

 仙台市の東北大青葉山新キャンパスで「次世代放射光施設」(愛称ナノテラス)の建設が進んでいる。極めて明るい放射光を使い、ナノメートル(ナノは10億分の1)の世界を可視化する〝顕微鏡〟だ。東京ドームが入る巨大さで、2024年度に本格稼働すると世界最高性能の施設となり、食品や環境関連など企業の利用も進む。

 ナノテラス設置は23年のG7科学技術相会合が仙台市で開催される決め手の一つになったといい、企業や大学の研究開発拠点が集まる国内有数のリサーチコンプレックスの形成にも期待が高まっている。(写真:建設が進むナノテラスの建屋=9月撮影、光科学イノベーションセンター提供)

太陽の10億倍の光を駆使


 放射光は長さ110㍍の線形加速器で電子を光速近くまで一気に加速、1周349㍍ある円形加速器(蓄積リング)を周回させ、電子ビームの進路を磁場で曲げたときに発生する。放射光の正体は強力なエックス線で、ビームライン(実験室)に導いて試料に照射し、透過したり表面で反射、散乱したりする様子を解析。超微細な世界をくっきりと見せる有力なツールとなっている。

 「加速器」「放射光」という言葉から、陽子や電子を衝突させ未知の素粒子の発見を目指す実験装置や、がんの重粒子治療装置、原発のようなエネルギー発生装置と混同されることもあるが「巨大な顕微鏡」という説明が最も分かりやすいだろう。上空からだと「q」の字に見える建屋はほぼ完成し、加速器や、当初は10本、最終的には28本設けるビームラインの調整が本格化している。

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(蓄積リング棟の実験ホール。右奥に円形加速器がある)


 電子顕微鏡もナノ級の分解能(2点間を見分ける能力)を持ち、例えば電気を通す黒鉛や通さないダイヤモンドを構成する炭素原子の配列は確認できる。しかし、電気を通すかどうかまで判別する能力はない。一方、放射光は「機能に影響する電子の状態を可視化できるので、電子の分布や動き、つまり電気を通すかどうかも分かる」と、ナノテラスの運営に当たる一般財団法人光科学イノベーションセンターの高田昌樹理事長は説明する。

 物質の構造も機能も見られる特性を生かし、放射光施設は世界に約50施設、日本国内では1997年に運用を開始したスプリング8(兵庫県佐用町)など9施設が既に稼働している。10施設目となるナノテラスの建設が実現したのは、特定の領域で日本が後れを取っていたからだった。

 スプリング8は放射光の中でも波長が短く金属材料の深部を見るのに適した「硬エックス線」を主に使う。ナノテラスが得意とするのは波長が長く、材料の表面や反応を観測しやすい「軟エックス線」。「リチウムや炭素、リンなどの軽元素や生体材料の分析に強く、幅広い産業分野でニーズが高い」(高田理事長)ため、各国で2000年以降、軟エックス線領域で高性能の放射光施設が相次いで建設されてきた。

 出遅れた日本だったが、ナノテラスが駆使する光は、太陽の10億倍という圧倒的な明るさに加え、コヒーレンス(光の波の形のそろい具合)がスプリング8の100倍近く高い〝次世代〟の光。稼働すると「海外につけられていた性能差を一気に逆転できる」と高田理事長は自信を見せる。軟エックス線はナノテラス、硬エックス線では今でもトップクラスのスプリング8と、2施設が役割分担しながら世界の放射光をけん引する時代が近づいている。

そうめんの食感、微細な穴が左右


 スプリング8は毒物カレー事件のヒ素や、探査機はやぶさが小惑星から持ち帰った試料の分析で知られるが、企業は放射光をどう活用しているのか。

 滑らかな舌触り、歯切れの良さ、ツルツルしたのどごしー。夏の食卓に欠かせない手延べそうめんの食感の秘密を解明するのにも、放射光が活躍した。日本を代表するブランド「揖保乃糸(いぼのいと)」を製造している兵庫県手延素麺(そうめん)協同組合によると、原料は小麦粉、食塩、食用植物油、水とシンプルだ。こねて帯状にした生地を、束ねてよじりながら細長く引き延ばし、さらに束ねて延ばす、という手作業を繰り返し、細い麺に仕上げる。伝統的な製法で作られた手延べそうめんは、年間約110万箱(18㌔入り)出荷している。

 同組合の原信岳研究室室長は、ライフスタイルの変化にマッチした、火や電子レンジを使わないで調理できる手延べそうめんの開発に取り組んできた。一方、車で30分ほどの距離にあるスプリング8では、兵庫県立大大学院理学研究科の高山裕貴助教(現・東北大国際放射光イノベーション・スマート研究センター准教授)がビームラインの食品分野への活用を模索。そうめんとエックス線光学という畑違いの2人は2019年、県立大の研究者を介して出会い、製法の違いが麺の構造や食感にどう影響するか調べることになった。

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(スプリング8でみた手延べ麺=左、と機械麺の断面、兵庫県立大提供)


 直径0.6~0.9㍉の乾麺をスプリング8で観察すると、手延べ麺は内部に20~30マイクロメートル(1マイクロメートルは1000分の1㍉)の小さな穴があき、それが麺の長さの方向に数十~数百㍃㍍にわたりつながっていた。刃物で切って細くする機械麺では、5㍃㍍程度の穴はあるもののつながっていなかった。高山准教授は「実験室にあるエックス線CTでは分解能(2点間を見分ける性能)が足りず、穴の連なりまでは見えなかった」と、放射光ならではの成果を振り返る。

伝統製法の良さ再認識


 原室長にとって予想外だったのは「穴の数は生地を束ねて延ばす『複合』の回数によると考えていたが、複合回数や生地をこねる時間を変えても大差なかった」こと。

 これらの結果から、高山准教授と原室長は「手延べ麺は昔ながらの製法で多くの穴ができ、毛管現象で均一に湯が浸透するため、ゆでても伸びにくく、食感は滑らかだが歯切れが良い」「生地をこねるだけの機械麺では、穴はつながらず、表面からしか湯が浸透しないので、ゆでムラができやすい」と、食感の違いを科学的に導き出した。

 原室長が目指す新タイプの手延べそうめんは試作段階だが「600年にわたって受け継がれる手延べの良さを再認識できた。新しい取り組みにつなげられる」。高山准教授も「軽元素を得意とする軟エックス線であれば、そうめんの構造をより詳しく解明できそう。酸化や劣化を評価するのにも使えるのではないか」と、ナノテラスの活用に期待を込めている。

 他にも資源・エネルギー、化粧品、金属加工、医薬品とさまざまな産業分野で既に利用されている。高田理事長に特に注目する分野を尋ねると、即座に「カーボンニュートラル」と返ってきた。

 「石油を新たに掘らなくて済むよう、プラスチックなど石油製品のポリマーを完全にリサイクルして使い続ける。その際に必要なのが、分子レベルでポリマーをどうバラバラにして原料に戻すか。放射光で解析し、シミュレーション技術や人工知能(AI)と組み合わせれば実現する」

 ただ企業にとって厄介なのは、放射光が最先端の技術だけに「膨大なデータが得られるが解釈が難しく、使いこなすには専門知識が必要」(ミルボン・伊藤氏)なこと。このハードルを下げようと、ナノテラスは「コアリション(有志連合)」という制度を導入した。

 コアリションメンバーとして参加した企業は、一口5000万円で、10年間にわたり年間200時間の施設利用権を得るとともに、大学の研究者ら学術パートナーと一対一の連合を組む。企業は情報漏えいのリスクを避けながら専門的な支援を受けられ、学術側も企業が持ち込む課題が新たなテーマとなって研究が推進する効果が見込まれる。双方にメリットがあるコアリションには既に140社以上が参加を表明しており、最終的には210社を目指している。

モノづくり照らす光に


 「地の利」「地元の支援」「共創」などのキーワードにも注目したい。

 国内の放射光施設は、いずれも関東以西にある〝西高東低〟で、ナノテラスは東北、北海道では初となる。立地する東北大青葉山新キャンパス(下の写真:東北大提供)は仙台市街地の西の緑豊かな高台にあり、仙台駅から地下鉄で9分。首都圏、関西圏から新幹線や飛行機で2時間以内という利便性の良さや、ほどほど都会でありながら自然に恵まれた都市としての魅力も、アピールポイントとなる。

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(ナノテラスやサイエンスパークの整備が進む東北大青葉山新キャンパス。一部はCG=東北大提供)


 地域の支援も手厚い。建設費約380億円のうち、約200億円は国が出資、残る約180億円を光科学イノベーションセンター、宮城県、仙台市、東北大、東北経済連合会(東経連)の地元5者が「地域パートナー」として負担。

 このうち「光イノベーション都市」を掲げる仙台市は、企業立地促進助成制度の拡充や、中小企業を対象にした既存放射光施設のトライアルユース事業実施のほか、1122日には企業向けオンラインセミナーを開催するなどして、企業に目を向けてもらう施策を次々に打ち出している。

 学術パートナーの代表格となる東北大は、ナノテラスに隣接する約4万平方㍍の区域に、サイエンスパークを整備中。青木孝文理事・副学長は「ナノテラスと連動し、社会的な課題の解決に当たるプラットフォーム、多様な立場の人や組織と協力して新たな価値を生み出す『共創』の場に」と位置付けを紹介する。

 新たな学問や研究領域を開拓する「国際放射光イノベーション・スマート研究センター」や、放射光で得られた高精細で大量のデータを解析する「未踏スケールデータアナリティクスセンター」などを設置済み。今後、企業が研究開発で使用できるレンタルラボを備えた施設などが、キャンパス内に整備される予定だ。

 ナノテラスが目指すのは、企業や研究機関が集まり、成果の事業化や人材育成を一体的に展開するリサーチコンプレックスの形成だ。東経連の試算では、ナノテラスの経済波及効果は稼働後10年間で1兆9017億円、雇用創出効果は仙台市だけで1万6033人に達する。その結果「国内外から高度な人材が定着し、新製品や新技術の研究開発で地域企業にも大きなチャンスが生まれる」(青木理事・副学長)と期待は膨らむ。

 公募で選ばれたナノテラスという愛称の語源は、建物の「テラス」ではなく「照らす」。ナノを照らす光は、日本のモノづくりの未来も照らすことだろう。

(Kyodo Weekly・政経週報 2022年10月24日号掲載、一部を再編集しました)

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