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耳からくる食欲  ラジオ献立番組の歴史  植原綾香 近代食文化研究家

2022.08.15

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耳からくる食欲  ラジオ献立番組の歴史  植原綾香 近代食文化研究家の写真

 休日にラジオを聴きながら家事をしていると、「今日は枝豆を使った簡単レシピです」と夏らしい献立紹介が始まった。さやごと炊くのがポイントの枝豆ごはんは、風味がちがってとてもおいしいという。どんな味わいだろうかとすっかりその気持ちになり、つやつやの枝豆ごはんがその日の夕飯の主役となった。

 こうした献立紹介の番組というのは、ラジオ放送が開始された翌年の1926(昭和元)年には始まっており、長い歴史を持つ。当時の放送音源を見つけることはできなかったが、東京放送局(現NHK)の「料理献立」で放送されたレシピを月ごとにまとめて出版された「ラヂオ放送 四季の料理」で内容を知ることができる。献立は料理学校の先生、料理店の料理人などが提供していたようで、「天皇の料理番」として知られる秋山徳蔵や現赤堀料理学園の赤堀峯吉などの名前も見える。

 8月のレシピ欄には、「牛肉野菜カレー煮」「鰻の肝の吸い物」「桃のプディング」といったなんとなく想像できるものもあれば、「白玉オランダ茗荷(ミョウガ)のすまし」「鰻の北海道煮」「御飯のホットケーキ」といったレシピ名だけでは想像できないものもあり、意外な食材の組み合わせなど今見ても面白い発見がありそうだ。

 「皆さま、鉛筆のご用意はよろしいでしょうか」というフレーズは、ネットが発達した今は耳にしないが、当時は主婦がラジオの前で食材と作り方をメモする想定の放送内容となっていたそうだ。

 1930(昭和5)年の平日のタイムテーブルを見てみると、朝7時半にラジオ体操から始まり、気象情報、経済市況のあとの9時半から「料理献立・日用品値段」、午後1時40分から「婦人講座」の放送となっている。(写真:日本放送出版協会「ラヂオ年鑑」 昭和7年、国立国会図書館所蔵から)

 新しいメディアとして登場したラジオは、教育・教養面に期待が寄せられており、家庭生活に役立つ栄養、衛生、物価などについて学ぶ近代的な女性の形成を意識したと予想される。「料理献立」は役立つ番組として評価されていたそうだが、その内容は上流志向であり、一般的な家庭で作るのは難しい内容だったという。

 さらにラジオの普及に伴い、都市と地方との差も顕在化され、幅広い聴衆が味も知らない料理を耳だけで聞き取るというのは困難なことであったそうだ。

 そう考えれば、耳だけで食欲が湧くというのは、一定レベルの食の知識や経験があって初めて成り立つものではないかと思う。

 最近「ASMR」(視覚や聴覚から得られる心地よい刺激)という言葉があるそうだが、あるラジオ番組で、炒飯や餃子などの中華料理をつくる音を2時間近く流している回がある。あまりにリアルな音は、電車の中でも中華屋にいる気分になり、駅を出たときには中華屋に吸い込まれている。

 夏バテで食欲がない日には耳から食欲を刺激するのも悪くない。(敬称略)

(Kyodo Weekly・政経週報 2022年8月1日号掲載)

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