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うま味あふれるラーメン  久留米にドライブインの先駆け  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長

2022.07.25

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うま味あふれるラーメン  久留米にドライブインの先駆け  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長の写真

 ラーメン店に宿泊所を併設―。福岡県久留米市の「丸星中華そばセンター」に飾られた新聞記事(1964年6月6日付)に驚いた。記事は、創業者の星野吾三郎さんが長距離ドライバーのために無料の宿をつくったと伝える。末尾には星野さんの言葉も記されていた。

 「やっと生活にゆとりができたので、お世話になった運転手さんたちのために、なにかしてあげたいと思っていた」

 星野さんの娘で現店主の高橋和子さん(75)は「父は奉仕の人でした」。そう言いながら店の歴史を教えてくれた。(写真:和子さん(左)は子どものころから店を手伝っている=筆者撮影)

 星野さんは戦後、久留米の繁華街で八百屋を始めた。ところがうまくいかず、別の商売を模索。国道沿いで焼き芋を売るようになった。「車は20分に1台くらい。バレーボールをして遊んでいましたよ」と高橋さん。

 そんなある日、通りがかったトラック運転手から言われた。「ラーメンを出せば」。星野さんはさっそく久留米の知り合いからラーメンを習って丸星を開く。1958(昭和33)年のこと。広さはたった2坪。昼夜関係ないドライバーのために24時間営業にした(コロナの影響で深夜営業は休止中)。丸は「太陽の昼」で、星は「夜」。昼も夜も開いているという意味を込めている。

 各地から集うドライバーは宣伝役も果たしてくれ、口コミでファンが広がった。加えてモータリゼーションの進展で、目の前の国道の交通量は激増した。建物を増築し、駐車場を拡張。ドライブイン型飲食店の先駆けだといわれている。

 「ゆっくり休んでもらって、事故が減ってくれれば」。宿泊所を併設したのは、店を押し上げてくれたドライバーへの恩返しだった。希望の時間に起こす「目覚ましサービス」も取り入れたというから至れり尽くせりだ。星野さんのエピソードはまだある。終戦直後は、戦争孤児にご飯を食べさせ、就職の世話までした。交通事故に遭った際は、自分のケガより、事故を起こした若者の生活を心配したという。

 「父は世の中で一番尊敬できる人。とにかくまわりの幸せを考えていた」。そう語る高橋さんにも父親の精神は受け継がれている。丸星には無料総菜コーナーがあり、肉じゃが、煮物、漬物などは高橋さんが未明から準備しているそうだ。たまに大量の明太子が置かれる時もある。ラーメンとご飯。そこに明太子を載せる。どの客も笑顔になる。

 私自身、通い始めて30年以上がたつ。昔は警察犬の写真、警察犬をモチーフにした演歌の歌詞が貼られていた。八百屋の名残で果物が売られていた時もあった。一方、ホールで働くおばちゃんたちはずっと変わらない。マニュアル感など皆無な普段着のサービスが心地良い。

 ラーメンも飾らない味が魅力だ。茶褐色のスープは豚骨ダシのうま味があふれる。きれいにまとめるのではない。武骨な感じがとてもいい。

 麺をすすり、どんぶりを抱えてスープを飲んだ。傾けたどんぶりの側面から文字が現れる。
 「祈る安全運転」

(Kyodo Weekly・政経週報 2022年7月11日号掲載)

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