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寄せ鍋「いりやき」がお勧め  対馬島は「国境の島」  小島愛之助 日本離島センター専務理事

2021.12.27

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寄せ鍋「いりやき」がお勧め  対馬島は「国境の島」  小島愛之助 日本離島センター専務理事の写真

 対馬島は長崎県対馬市の主島であり、九州最北端、玄界灘に位置する「国境の島」だ。そのように呼ばれるゆえんは、九州本土からは約132㌔の距離があるのに対して、朝鮮半島には約49.5㌔の距離という近さにある。

 島の形状は、南北に82㌔、東西に18㌔と細長く、面積は約700平方㌔と、わが国の有人離島では、佐渡島、奄美大島に次いで、3番目の広さだ。島のほぼ全域でリアス式海岸が発達し、海岸線の総延長は915㌔にも及ぶ。対馬海流の影響で温暖多雨の海洋性気候になっている。

 対馬島は古くから大陸との交流があり、特に朝鮮半島との間を結ぶ交通の要衝であった。大陸との関係にまつわる史実は枚挙にいとまがないが、第一に挙げなければならないのは鎌倉時代の二度にわたる元寇であろう。1274年の文永の役と1281年の弘安の役だ。特に文永の役では南部の小茂田浜が主戦場となり、多くの犠牲者が出ている。

 朝鮮半島からは室町時代から断続的に「朝鮮通信使」という使節団がわが国に派遣されていた。江戸時代になって対馬藩主の宗氏が徳川幕府と李氏朝鮮との仲介役となり本格的に再開された。朝鮮通信使は江戸期を通じて合計12回派遣され、1811年に対馬までで差し止められるまでは、韓国・釜山から海路で対馬に入り、壱岐に寄港した後、瀬戸内海周辺各地を経て、大坂から江戸に向かうという行程をたどっている。

 幕末から明治にかけては、ロシアやイギリスをはじめとする列強がたびたび対馬島に接近するようになった。これに脅威を感じた日本政府は国境最前線である対馬島に要塞を造成する。

 その後、日清戦争、日露戦争を迎えることになるが、特に日露戦争におけるわが国の勝利を決定的なものとしたことで知られる日本海海戦においては、対馬島における陸海軍の要塞の存在が大きな役割を果たしたといわれている。

 さて、ここまでの話を踏まえて、対馬島の観光について俯瞰させていただこう。

 まずはリアス式海岸の真骨頂である浅茅湾、烏帽子岳展望所に上がって一望していただきたい。次に小茂田古戦場跡、小茂田浜神社には元・高麗の大軍に応戦して全滅した御霊が祭られている。対馬藩城下町であった厳原には宗家の菩提寺である万松院があり、朝鮮国王から贈られた三具足や徳川歴代将軍の位牌などを見ることができる。

 そして、比田勝の豊砲台跡、近くにある韓国展望所からは、気象条件に恵まれれば韓国釜山の街並みが肉眼で見ることができ、まさに「国境の島」を実感できるのである。

 そこで、今回の味であるが、古くからの郷土料理である「いりやき」(写真)をお勧めしたい。地鶏や鮮魚でだしをとり、旬の野菜をたっぷり入れた寄せ鍋の一種であるが、店により家庭により具材やシメがさまざまである。

 個人的には、せっかく島なので鮮魚でだしをとって、シメは対州そばかな?と思うがどうであろうか。博多港から高速船で2時間15分、空路なら福岡空港から35分、遠いようで近い日本の国境、ぜひ訪れていただきたい。

(Kyodo Weekly・政経週報 2021年12月13日号掲載)

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