地域で守る農業用水 水資源循環の重要性実感 田中夏子 長野県高齢者生活協同組合理事長
2021.04.19
(写真はイメージ)
7年前から東京と長野県を行き来しながら、小さな農業を始めた。周りの山の森林から吹き寄せられる落ち葉や、卵の共同購入先の平飼い養鶏農家さんからいただく鶏糞を利用した土づくりをしている段階だ。
田んぼづくりは、敷地に隣接する放棄棚田を回復して挑戦したが、日照不足と獣害でわずかな収量にとどまるため、現在は、近隣の農家さんから400平方㍍ほどの田んぼをお借りしている。
一番下手の田んぼなので、水の入り具合が心配で、田植え前から夏にかけては、早朝から気持ちが落ち着かず、何度となく〝水見〟を繰り返す。
しばらくは自分の田んぼのことしか考えていなかったものの、苗がそろって風にそよぐ光景を見ると、あらためて毛細血管のように隅々まで水を行きわたらせる農業用水の威力に圧倒される。
「灌漑施設は国土の血管網」とは、既に言い古された表現だが、高台に上って見渡す光景から、水の力、もっといえば、水が循環する仕組みの重要性を実感できる。
その「仕組み」の最上流は、水源地だが、水源の大元はそれを抱く森林、その森林に雨をもたらす気候、つまりは地球環境、その地球環境を揺るがしている人類の営みにまでたどり着く。
(写真左:筆者が土地を借りて耕作している小さな田んぼ。右:台風19号の爪痕。土手上の森林が崩落し田んぼに土砂と木々が流入した。奥の用水も土砂で埋まっている。2019年11月=筆者撮影)
そこまで射程を広げて考える大前提として、まずは一番身近な農業用水について知りたいと考え、昨秋11月、長年にわたって農業用水の管理を担ってきた農家さんを訪ねた。
農業用水の管理の仕事が、各地で困難となり、2000年代後半になると、国も、農業・農村の多面的機能促進の名の下、その対応策・支援策に乗り出してきた。
しかし、中山間地の用水管理の現場は、近年の災害の頻発とも合わさって、そうした施策でも追いつかない難しい状況であることがうかがえた。
お話をうかがったA用水は、1660年代に開削された。この前後、甲信地域の各地で、難工事の末、農業用水が開削されており、ここもその歴史ある用水の一つだ。
このA用水によって地形的には不利な山の中腹に、一反から二反ずつの田んぼが数十枚(約10町歩=約10万平方㍍)、帯状に開拓され、山間部の食の供給が支えられてきた。
特徴的なのは、水源から山中を縫って最初のため池に達するまでの用水路が全長10㌔に及ぶことで、この最上流部区間をいかにトラブルなく管理するかが、水利組合としての大仕事だ。
煩雑、膨大な「管理」
一言で「用水管理」と言っても具体的にどんな作業を意味するだろうか。関心をもったのは、季節ごとにどのような労働が、有償、無償問わず発生しているか、という点だった。
筆者も、農業用水にお世話になった際、年2回の堰(せぎ)清掃や土手の草焼などには参加した経験があるが、総出の行事を超える用水管理の全貌を知らなかった。
用水の利用・管理の担い手としては、一般的には水利組合が構成されており、筆者がお話をうかがったのは、その組合の役員さんで、隅々まで用水管理を知り尽くした方だった。
組合の構成世帯数は20弱。いずれもご高齢の世帯で役員など中心的な担い手は70歳代後半だ。発生する仕事は、春先、田んぼに水入れを始める前の下見、清掃、補修工事に始まり、用水周辺の草刈りはもちろん、毎日の見回り(崩れのチェック、特に大雨の後など)、不具合の補修、行政への相談、作業管理(誰が何日、どのような有償無償の仕事に携わったかの集約)、会計(耕作面積に応じた集金や作業時間に応じた支払い)などで、細やかに業務記録がつけられている。
筆者が概算したところ、有償と無償あわせて、のべ261日分の労務が発生、うち約3分の1はボランティア労働だ。
難所の用水だけに、大雨時に少しでも崩落すれば、他の集落への被害にもつながりかねず、そんなときは、役員が飛んでいって応急工事の対応に出るというから、実際は右記以上の労働日数だろう。
自前の対応だけでは難しいので、多世代での地域交流や環境保全活動に取り組み「農業農村多面的機能発揮」を目的とした制度も活用した。資金的に若干の行政補助があるとはいえ、労務や資材に関わる財源の多くは、自分たち持ちだ。
実は、このお話をうかがう際に、農業用水の管理を、より広域の地域で支える仕組みができないか、心当たりの事例や、農村研究の関係者に問い合わせて集めた資料をお持ちしようかと考えていた。
農に対する執念
しかし、間に立って紹介してくださった方からは「350年以上にわたって用水を支えてきた地域の皆さんだから、制度利用を含め、もうあの手、この手、ずいぶん尽くしてきたところだ。まずはその苦労がどんなもので、そして今、何を大事にしたいと思っているのか、それをじっくり聞いてからでないと、そういう資料は意味をなさないのではないかなぁ」とアドバイスをいただいた。
お話をうかがってみて、本当にその通りだと実感した。長野に縁を持ち始めた20年前、私にとっては、「農」を理解する原点的な光景を目にした。大岡村(現在の長野市)に赴いた際、夕暮れ時に、畑の真ん中で、車椅子に乗りながら上半身をぐっと折り曲げて土寄せをしている高齢の方がいて、農に対する執念を垣間見た。
筆者は地域のコモンズ(共有材)の保全をめぐって、学習や議論を深めていきたいと考えているが、コモンズの維持・手入れが、人々の暮らしと地域の歴史に染みこんだものであることに思いを寄せ、まずは、それを一線で担ってきた人たちの声を真ん中において、聞き取りを続けたい。
(Kyodo Weekly・政経週報 2021年4月5日号掲載)
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