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消えゆく魚庭(なにわ)の老舗  木下祐輔 アジア太平洋研究所調査役

2020.07.27

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消えゆく魚庭(なにわ)の老舗  木下祐輔 アジア太平洋研究所調査役の写真

 新型コロナウイルス感染症をめぐる政府の緊急事態宣言は解除されたが、われわれは完全に宣言以前の世界に戻れるわけではない。今後は各人が感染防止のための努力を続けつつ、社会活動を段階的に本格稼働させていくことが求められる。

 こうした中、関西に住む人間にとって衝撃的なニュースが飛び込んできた。大阪市内にある老舗ふぐ料理店「づぼらや」が閉店するというのだ。

 同店は新型コロナウイルス感染拡大を受け、大阪市内にある新世界と道頓堀の2店舗で4月上旬から臨時休業を続けていた。その後営業再開を模索していたが、再開のめどが立たないまま、今年9月の閉店を決めたという。

 づぼらやという名前は知らなくても、店頭につり下げられた高さ約3メートルの巨大な張り子のふぐちょうちんといえばピンと来る人も多いのでないか。(写真は「づぼらや」のふぐちょうちん=2019年7月、大阪・新世界)

 中でも新世界本店は、大阪のランドマークである通天閣をバックに入れて写真撮影ができるため、国内外の多くの観光客の人気スポットになっていた。同店は好調な関西のインバウンドを象徴するシンボルだったといっても過言ではない。

 報道によると、数年前から苦しい経営が続いていたという。加えて緊急事態宣言後も観光客が戻らないこと、3密を避ける新しい生活様式のもとで、宴会需要の回復が見込みづらいことも背景としてあったと考えられる。

 ふぐちょうちんの今後の扱いは未定とのことだが、将来的に"ミナミ"の景色も変わっていくのかもしれない。

 実は全国のふぐ消費量のうち、大阪はその6割を占める全国一の消費地である。

 ふぐ食の歴史をひもとくと、毒との闘いであったことがわかる。最も古い記録では、縄文時代の貝塚から、ふぐの骨の周りに複数の人骨が発掘されたとの記録が残っている。

 大阪湾はかつて「魚庭」といわれたほど、水揚げされる魚の量や種類が豊富であった。その中にふぐも当然含まれていたのだが、毒に当たって命を落とす人が相次いだ。こうした状況を憂い、豊臣秀吉公の時代には「ふぐ食禁止令」が出るほどであった。

 ふぐ鍋のことを大阪では「てっちり」という。これは、ふぐ毒に「当たると死んでしまう」ことから、ふぐを「鉄砲」と呼称したことに由来している。また、当時味付けをせず昆布だしや熱湯で煮た水炊きを「ちり鍋」と呼んでいた。「鉄砲のちり鍋」略して「てっちり」というのが定説だとされる。

 づぼらやは戦後解禁されたふぐ料理を提供する多くの飲食店の中でも、てっちり(当時はふぐ汁)を大阪の食として浸透させた草分け的な存在である。定番のてっちりの他にも、揚げ物や刺身、濃厚なうま味の白子も魅力だ。

 無論、筆者もたびたびお世話になった。若手サラリーマンの財布には少々こたえたため、仕事がうまくいったときだけ奮発したことが懐かしい。大正時代に創業した老舗の火がこうした形で消えるのは本当に残念で仕方がない。

(KyodoWeekly・政経週報 2020年7月13日号掲載)

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