友情がつなぐ55年 香港のロングセラー「蟹王麺」 NNA
2023.05.24

香港で1968年に発売された袋入り即席麺の「蟹王麺」。一部のファンに支えられた知る人ぞ知る存在だが、香港の即席麺市場では最古参とされる歴史を持つ。日本にはないこの商品を、イトメン(兵庫県たつの市)はなぜ半世紀以上も昔から製造してきたのか。同社の伊藤充弘社長に香港からオンラインで話を聞いたところ、見えてきたのはビジネスの枠を超えた、日本と香港の友情に根ざす物語だった。(写真:伊藤社長が持つ黄色いパッケージがオリジナルの蟹王麺、オレンジ色は豚骨風味=イトメン提供)
「最初期のことは私も直接知らないので関係者に聞いた話だが」と断りながら伊藤さんが語ってくれたのは、少し意外ないきさつだった。「68年というのはベトナム戦争(55~75年)のまっただ中で、当時は日本からベトナム向けに即席麺がたくさん輸出されていた」
イトメンがあるたつの市は「播州そうめん」の産地として知られ、製麺会社が多い土地柄。ベトナムでは米軍が空から即席麺をまいている、という話もまことしやかに伝えられるほどの特需に地域は沸き立ち、そうめんメーカーの多くが一斉に即席麺を作り始めた。
即席麺の製造では世界で2番目に古く、一日の長があったイトメンだが、初めはブームに乗って設備投資を増やす周辺他社を横目で見ながら「うちにそんな余裕はない」と国内市場だけで商売を続けていたという。そんな同社にも華僑が経営する商社からベトナム輸出の話が持ちかけられた。今も蟹王麺の輸出代理店を務める元記行(神戸市)だ。
当初はベトナム向けのオリジナル即席麺を開発するという企画だったが、ここで問題が一つ。「オリジナル商品を作ろうとなると、パッケージの印刷ロットが想像以上に大きかった」。ベトナム向けだけでさばき切るのは大変だとなり、元記行が海外の親戚筋に香港販売を打診した。それが、香港で蟹王麺の販売元となっている大隆行海産だ。
イトメンと神戸の元記行、香港の大隆行で話がまとまり、動き出したプロジェクト。ただ、本命だったはずのベトナム向けは「売れたのは最初のちょこっとだけ」。逆に香港では即席麺の物珍しさもあってヒット商品となり、その後は香港向けに絞って現在に至っている。
円高が打撃
出だしこそ上々だった蟹王麺だが、後発ブランドに追い越されるようになったきっかけは円高の進行だ。輸出開始当初は「1㌦=360円」で固定されていた円の為替レートが、73年の変動相場制への移行から急激に上昇。80年代初めには当時の香港市民にとって、輸入品の即席麺は気軽に購入できる食品ではなくなってしまった。
そうした状況下にあって日清食品は85年、香港に自前の工場を稼働させて「出前一丁」の現地生産を開始する。出前一丁は蟹王麺が香港でデビューした68年に日本で誕生した商品だが、今や香港で即席麺の代名詞ともいえる絶対的な存在に成長した。
中国本土に工場を設立してはどうかという話が香港の大隆行との間で持ち上がったこともあるが「うちは中小企業。そこまでの投資に踏み切るだけの勝算はない」と見送った。「ベトナム戦争の頃、急に即席麺を作り始めた周囲のメーカーは戦争が終わると市場がゼロになって痛い目を見た。ブームに踊らず国内市場を優先してきたうちだけが今も残っている」。堅実な経営哲学はイトメンの強みでもある。
損得よりも「縁」
結局、円高不況にさらされた蟹王麺の輸出量は20フィートコンテナで年間数本まで落ち込んだ。7~8年前に香港のインターネット動画で一時的に再脚光を浴びたため現在は月間数本まで回復したものの、全体としては何十年にも及ぶ長期低迷が続いている。「うちはもうからないし、向こう(大隆行)ももうからない」。それでも取引を続けているのは、どちらも「縁が切れてしまうのはいやだ」という気持ちがあるからだという。
56年生まれの伊藤さんと、大隆行を経営する余永佳(ジェフリー・ユー)さんは同い年。ともに同族経営の跡取りで、蟹王麺を通じて互いの家業が関係を結んでから兄弟同然に付き合ってきた。「香港式の学年の数え方だと向こうが1級上だから、彼は私のことを弟分と見ているようだが」と伊藤さんは笑う。(下の写真:余永佳さん(中)と、一緒に家業を切り盛りする兄の余永洲さん(左)、おいの余国偉さん。永佳さんと伊藤さんの交流は半世紀に及ぶ=4月、上環、NNA撮影)
余さんが高校を卒業した年の夏、日本語の勉強がしたいと伊藤家へホームステイにやって来た。伊藤さんは翌春の大学受験を控え、受験勉強の追い込みの真っ最中。「一番大事な時期に3カ月くらい。勉強する間もなくいろんな所へ連れて回った」と目を細めて振り返る。
余さんから「どうして大学に行くんだ」と聞かれ、「高校を出てすぐに仕事はしたくない」と答えた伊藤さん。「それもそうだ」と心変わりした余さんは、しばらくしてカナダの大学へ進学した。
当時の思い出は余さんも今回の取材で語っており「学生時代に彼(伊藤さん)がカナダの私のアパートにロングステイしたこともある」と懐かしむ。余さんが「ずっと良い関係を続けてきた」と振り返るように、多感な学生時代から影響を与え合ってきた特別な間柄だ。
蟹だけど豚骨味も
ちょっとした思いつきでも忌憚なく話し合える2人の関係は、商品開発に生かされたこともある。ある時、香港市場で人気の他社製品について「ごまラー油がおいしいね。うちもつけてみないか」「ならつけようか」といった会話が交わされ、これまで麺と粉末スープだけだった蟹王麺に小袋入りのごまラー油が追加されることになった。
5年ほど前には新製品「豚骨風味」も2人の会話から誕生している。「蟹で豚骨。コンセプトがめちゃくちゃ」と突っ込みつつも、伊藤さんは余さんの希望をしっかりかなえた。あいにく、ごまラー油も豚骨も売り上げを大きく伸ばす起爆剤にはならなかったが、伊藤さんは「気楽なもんです」と意に介さない。
ちなみに「蟹のエキスは入っていない」という蟹王麺の名称の由来は、今となっては詳しいことは分からない。余さんは「当時は即席麺のことなど全く分からなかったのでイトメン側が考えたのだろう」と話しており、伊藤さんは「中華圏では蟹に良いイメージがあるらしい」ことから名付け親は代理店の元記行ではないかとの見解だ。
今後の香港市場での展開について伊藤さんは「私と彼が引退したらどうなるか分からない」と冗談めかして笑う。とはいえ「先日、いつまで社長を続けるつもりかと彼に聞いたら、まだ辞めないからお前も頑張れ、勝手に先に辞めたら怒るぞと言われてしまった」。
「うちの商品で一番利益が薄い」というイトメンにとっても、海産乾物が本業の大隆行にとっても、蟹王麺は損得を超えた「縁」を取り持つ大切な商品。まだしばらくは、香港のファンたちを楽しませてくれそうだ。(NNA 福地大介)
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