「書評」世界貿易機関は今 「WTO体制下の貿易政策 過去・現在・将来」(岩田伸人 編著)
2024.02.10
1990年代後半から約10年間、世界経済の成長を主導した世界貿易機関(WTO)体制は、2006年にドーハ・ラウンドに失敗すると勢いを失い、貿易交渉の焦点は、2カ国間の自由貿易協定(FTA)や環太平洋連携協定(TPP)のような地域間の協定に移った。WTOに批判的なトランプ政権が発足すると紛争処理の機能も低下し、メディアでとりあげられることは激減し、その存在感はすっかり薄まった。
週刊誌が企画する「あの人は今」ではないが、あの輝いていたWTO体制は今やどうなっているのか、本書は全9章でWTOの全体像を総点検する。それぞれ1話完結の読み切りで、どこからでも読めるが、「農政の憲法」とも言われる食料・農業・農村基本法が4半世紀ぶりに改正されるタイミングであり、岸田政権は、食料安保の強化を基本理念の1つに加える方針だ。先ずは第6章の「自由貿易と日本の食料安全保障」に着目したい。
明治大学の作山巧教授は、そもそも日本の食料安保の定義が特殊だと説く。国際的には「個人が平時に入手できる」ことが食料安保なのに対して、日本では「国家が有事に供給できる」ことを意味して正反対であり、「平時の入手可能性」と「有事の供給確保性はトレードオフの関係にある」と指摘する。その上でWTOの農産品貿易に関する規律は「輸出入の間に明確な非対称性がある」とし、輸出国が輸出規制を安易に発動しないように求めることが、日本政府の課題だと訴えている。
政府の基本法改正案の検討は、「輸入が途絶した場合」という極端な状況を想定し、「国内生産の増強」を過大に重視する傾向が強い。貿易に関する議論をほとんど回避したまま基本法を改正することが、いかに乱暴かに気付かせてくれる警告の論文だ。
農業分野からは離れるが、第9章の「経済安全保障の新たな地域枠組み」は、米国と中国の対立やロシアによるウクライナ侵攻を踏まえれば、最も今日的なテーマだ。青山学院大学の岩田伸人名誉教授は、「繁栄のためのインド・太平洋経済枠組み(IPEF)」の姉妹協定として米州機構の加盟国を基礎とする「経済的繁栄のための米州パートナーシップ(APEP)」を紹介する。
米国のバイデン政権はこの2つの枠組みを使ってデジタル経済の覇権を握り、中国を包囲する構図だと見立てる。その成否のかぎは米国ではなく、IPEFにおいてはインド、APEPにおいてはブラジルが握っているようだ。本書は、日本貿易学会の創設60周年を記念し、同学会叢書の第1巻として、文眞堂が出版した。3850円(税込)