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「書評」 山下惣一さんの聞き書き 「振り返れば未来」(著者・山下惣一/聞き手・佐藤弘)

2023.06.20

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「書評」 山下惣一さんの聞き書き 「振り返れば未来」(著者・山下惣一/聞き手・佐藤弘)の写真

 農業に従事する傍ら、農民作家として文筆活動を続け、農業分野のオピニオンリーダーだった山下惣一さんが86歳で亡くなって1年。その間に食料安全保障に対する意識が高まり、農業政策は食料・農業・農村基本法の改正に向けて急ピッチで展開している。

 この動きを山下さんなら、どのように評価するだろうか。農業分野のジャーナリストなら、誰でもコメントを求めたくなるだろう。「オレが何十年前も前から言ってきたことよ」とニヤニヤするだろうか。

 本書は、佐藤弘元西日本新聞編集委員が生前の山下さんを聞き書きし、生い立ちから就農を経て農業の未来を展望するまでを描いたオーラルヒストリーだ。著者は山下さんであり、佐藤氏は「私の主観や解釈は極力加えないようにした」とする。

 その一方で「山下さんから学び、多くの方に伝えたいと思ったことをその名を借りてまとめた」と後書きに記している。講演などでは「山下さんには多数の著書があり、本書はそれらのダイジェストのようなものだ」とも語っている。

 しかし、本書の魅力は単なるダイジェストではなく、熟練した農政ジャーナリストの五感を通して山下さんの実像に迫っている点にある。

 例えば、1980年代の「農業叩き」について、山下さんは匿名を希望したのに「聞き手の判断」で実名引用するような聞き書きの「掟破り」がある。ソニーの井深大社長(当時)が「農業は東南アジアに移せ(中略)単位面積当たりの生産性は、工業は農業の1500倍である」と語るなど、農業不要論を展開したダイエーの中内功社長(同)ら財界人や大前研一氏ら知識人と呼ばれた人たちの暴論が赤裸々に描かれている。

 勝手に「山下さんの弟子」だと名乗り、「聞き書きというのは、文章を書けないエラい人が、文章のうまい人に頼むとぞ。文章のうまいオレが、なんで文章の下手なお前に書いてもらわんといかんのか」と一度は断られたのに、本書を書き上げた熱意に対して、農政ジャーナリストの会は本年度の農業ジャーナリスト賞を授賞した。

 本書は聞き書きではなく、著者・佐藤弘氏の「山下惣一論」として出版するべきだった。山下さんが一度は聞き書きを断った真意は、そこにあったのではないか。「振り返れば未来」は不知火書房から出版、税込み2200円.