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福岡から全国区、そして世界へ  一風堂創業の河原成美さん  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長

2023.04.10

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福岡から全国区、そして世界へ  一風堂創業の河原成美さん  小川祥平 登山専門誌「のぼろ」編集長の写真

 「とんこつラーメンくさい街」。シンガーソングライターの前野健太さん=埼玉県出身=にはそんな題名の曲がある。情景とにおいが浮かんでくるような切ないラブソング。その着想について本人は「東京の街を歩いている時に豚骨ラーメンのにおいがしたんだと思う」と話してくれた。九州にいると忘れてしまいがちだが、やはり豚骨臭のインパクトは強い。九州外の人たちにとって「特別」な豚骨ラーメンを「普通」のものとして広めた立役者がいる。国内外に展開するラーメン店「一風堂」創業者の河原成美さんだ。(写真:銀座店のカウンター前に立つ河原成美さん=筆者撮影)

 一風堂の関東進出は1994年だから古参ではない。先駆けは68年に新宿に進出した熊本の老舗「桂花」とされる。78年に博多ラーメン源流の一つ「赤のれん」で修行したファンが西麻布に店を出した。87年には、世田谷区の環七沿いに「なんでんかんでん」がオープンし、90年代にかけての豚骨ブームを牽引した。当時、世田谷区に住んでいた僕もよく足を運んだ。福岡を離れて一人暮らしの学生の身。「くさい豚骨ラーメンが東京でも食べられるとは」と驚いたのを思い出す。

 一風堂に話を戻すと、創業は85年。レストランバーを営んでいた河原さんが、2店舗目としてラーメン店の立ち上げを決めた。福岡市の「長浜一番」で1年間修業。市中心部の大名という地区で10坪ほどの「博多一風堂」を開いた。

 僕が初めて一風堂を訪れたのは創業数年後のこと。大名は東京の裏原宿のような新しいものが集まっていた場所。木を基調とした店内にジャズが流れる。店員たち(たぶん河原さんも)はバンダナを巻いていた。雑然とした店内に頑固おやじ、というそれまでのラーメン店像は覆される。そして熟成臭を抑えた豚骨ラーメンも新鮮だった。

 河原さんに創業時の思いを聞いたことがある。そもそも、ラーメンを選んだのは、バーの女性客から「好きだけど1人では入りづらい」と聞いたから。「かっこいい環境で女の子が食べられるラーメン店を作りたかった」と話してくれた。

 福岡を飛び出したのは94年の新横浜ラーメン博物館のオープンがきっかけだ。館長の岩岡洋志さんに乞われて、開館時に出店。全国のご当地ラーメンの中でも抜群の人気を誇った。翌年には東京・恵比寿に進出。くさみのないスープをさらに熟成させた「白丸元味」、辛みそやマー油を加えた「赤丸新味」を考案して大ヒットさせた。福岡の味は、東京を経由し、徐々に全国区の人気となっていった。

 河原さんのモットーは「変わらないために、変わり続ける」。当然そこで終わりではない。次は海外を見据え、2008年のニューヨークを皮切りに、ロンドン、パリ、シンガポール、上海などに展開した。

 「やはり豚骨スープは強い」と河原さんは手応えを感じていた。においだけでなく、店づくりも含めて工夫し、より多くの人に受け入れられる豚骨をつくり出した。河原さんが口にした今後の目標も覚えている。

 「世界でラーメンといえば『一風堂』と言われるような基準の一つになりたいね」

 昨年末時点での海外店舗は130店を超えた。その言葉は徐々に現実味を帯びてきている。

(Kyodo Weekly・政経週報 2023年3月27日号掲載)

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