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「北の国から」にみる農業史  黒板五郎の夢かなうか  藤波匠 日本総合研究所調査部上席主任研究員

2021.06.21

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「北の国から」にみる農業史  黒板五郎の夢かなうか  藤波匠 日本総合研究所調査部上席主任研究員の写真

(写真:富良野市=2017年6月、石井勇人撮影、以下同)

 今年3月、俳優の田中邦衛さんが88歳で亡くなった。昭和から平成にかけ、数多くの映画やドラマを彩ってきた名優であるが、代表作はなんといってもドラマ「北の国から」である。

 「北の国から」は、田中邦衛さん演じる黒板五郎が、純と蛍、2人の子どもを連れ故郷である北海道富良野に帰り、ともに成長する姿を描いたドラマである。

国民的ドラマ


 「北の国から」は、1981年の2クール(24回)にわたる連続ドラマ終了後も、2002年まで、数年に一度スペシャルドラマが放映された。

 20年以上に及ぶ放映期間を通して、配役を変えることなく、同じ役者が演じ続けた。視聴者は、ドラマを通じて純(演・吉岡秀隆)や蛍(演・中嶋朋子)の成長を目の当たりにし、感情移入しやすかったことが、「北の国から」を国民的ドラマに押し上げた。

 2002年に放映された前後半2回のスペシャルドラマ「2002遺言」をもって、一応のエンディングとされているものの、ファンの間で黒板家のその後を描いた後日談のドラマ化を期待する声が消えることはない。

 しかし、主役である田中邦衛さんが亡くなったことで、その目はほぼついえた。脚本を担当した倉本聰さんは、黒板五郎は田中邦衛さん以外に演じることはできないと言い切っており、また準主役級の登場人物を演じていた役者の多くもすでに鬼籍に入られ、ファンが望む形でのドラマ化の実現は難しい。

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 「北の国から」は、黒板一家の成長を描いたファミリードラマである半面、時代を映す社会派ドラマとしての側面も持っている。

 これは、倉本さんが、ドラマに息吹を吹き込むために、意図的に当時の社会情勢を、かなり正確に役者のセリフや行動に反映させたからに他ならない。

農業の変貌も描く


 例えば北海道の農業を描くシーンである。黒板家の親戚筋にあたる北村清吉(演・大滝秀治)が、1960年代に4軒の仲間たちがまとめて離農していくのを見送ったという昔語りをする場面がある。

 清吉の弁によれば、当時はトラクターが導入され、営農方式がどんどん変わっていったという。「お前ら敗けて逃げるんじゃ」という印象深いセリフが語られる場面であり、記憶されているファンも多いと思う。

 実は1961年、農家の所得水準を引き上げることを目的とした農業基本法が成立し、農業の機械化や農地の集約が図られた。

 特に北海道では機械化や集約が一気に進み、そうした変化についていけない小規模農家が、次々と離農していった。農業基本法制定以降の半世紀で、北海道の農家の80%以上が離農した計算となる。


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(グラフ:実線は北海道、点線は北海道以外。1945年のデータは1946年のデータで補完。出典は農林水産省「農業センサス」)


 ドラマの中でも、離農や農家の夜逃げの場面が数多く描かれた。北海道では政策の結果として多くの離農者を生じたことと引き換えに、残った農家の所得は大きく引き上げられていった。

 脚本家である倉本さんは、こうした農業の機械化や大規模化に対して、社会の流れとして受け入れてはいるものの、一方で批判的な思いを持っていたことは間違いない。

 倉本さんは、前出の北村清吉の息子である北村草太(演・岩城滉一)には、経営農地の規模拡大に執念を燃やし、離農農家の農地の受け皿となる役回りを演じさせている。

 しかし彼には、農業の生産性向上を象徴する大型トラクターの下敷きとなり命を落とすシナリオが用意された。

「ありがとうが聞こえる」農業


 また、スペシャルドラマ「'98時代」の中で、倉本さん自身の思いをうかがわせるセリフを、黒板五郎に言わしめている。

 「今の農家は気の毒なもンだ。どんなにうまい作物作っても、それを食べた人から、直接ありがとうって言われることないものなぁ。だから、おいら、小さくやンだ。ありがとうの言葉が聞こえる範囲でなぁ」

 農業の生産性向上に向けた取り組みはいまも続く。水稲生産の北限にあたる北海道旭川周辺では、自動運転可能な大型トラクターの導入を前提に1枚の田んぼを2㌶以上とする農地改良が進められている。

 同時に、農産品のトレーサビリティー(生産流通履歴)が注目される中で黒板五郎が目指した「ありがとうの言葉が聞こえる」農業を、IT技術の進歩が後押ししており、消費者と生産者が直接つながる時代が到来しつつある。

 また、ドラマの中で黒板五郎が実践していた有機農業に、近年注目が集まっており、安全・安心な野菜を生産する農家には、多くの消費者が日参するような状況になっている。「北の国から」が提起した現代農業の課題が、少しずつ解決に向け動きだしているのである。

 「北の国から」には、農業に限らず、社会インフラの変遷、石炭産業や鉄道の盛衰、恋愛や教育、廃棄物からバブル崩壊までの多様な社会情勢が、時代に即して描き込まれた。こうした脚本のリアリティーと完成度の高さが、「北の国から」を一層魅力的なドラマにしていたのである。

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SDGsもテーマに?


 倉本さんは、スペシャルドラマ「2002遺言」の後の黒板家を、今も描き続けているという。例えば純や蛍とは兄弟のように育ち、「'98時代」で蛍と結婚した笠松正吉(演・中沢佳仁)は、その後、福島県浪江町で消防署員となるも、東日本大震災で行方不明になったと、倉本自身が2012年3月の文芸春秋に書き下ろした特別寄稿の中で語っている。

 また純も、東京電力福島第1原発の事故現場でがれき処理の仕事に身を投じたとある。

 もし、ファンの望み通りドラマが作られ続けていれば、平成から令和にかけてのさまざまな社会問題が描き込まれたに違いない。

 例えば、黒板五郎は85歳を超えているはずであり、いまドラマ化されれば、介護の問題を避けて通ることは難しい。LGBTや持続可能な開発目標(SDGs)、コロナ禍といった2002年には言葉すらなかった問題も、間違いなく主題として取り上げられるはずだ。

 そして、黒板家と仲間たちが、そうしたさまざまな問題に直面しつつも、地域に根を張り、悲しみや喜びを分かち合う姿が描かれることだろう。

 それを目にした多くの視聴者が、彼らに共感し、語られる言葉を再び胸に刻むのである。田中邦衛さんの死によって黒板五郎の登場は期待できないものの、「北の国から」が描いた時代より一層複雑化した現代日本を、純や蛍らがいかに生きるのか、一ファンとして、改めてドラマ化への期待は募る。

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         (日本経済新聞出版社、935円)

(KyodoWeekly・政経週報 2021年6月7日号掲載)

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