つくる
被災の村から〝羊肉革命〟 山田昌邦 共同通信福島支局長
2020.10.26

「この村から世界に通用する羊肉を」。福島県東部を縦断する阿武隈高地。その山あいにある葛尾村の吉田健さん(45、写真左=筆者撮影、以下同)は妻美紀さん(34)とともに新たな手法で羊の肥育に取り組み、高品質な羊肉を生産している。
健さんは隣接する田村市と葛尾村の2カ所で、両親と計約1200頭の黒毛和牛を飼育する大規模な牧場を営んでいた。しかし2011年3月、東日本大震災、東京電力福島第1原発事故が発生。葛尾村は全村避難を余儀なくされた。
殺処分となるのを避けるため、健さんは父と6月まで村に残り、約400頭を出荷したり、田村市の畜舎に移したりする作業を続けた。「必ず村に戻って牛飼いを再開する」。最後の1頭を送り出し、空になった畜舎を見渡してこう誓った。
避難指示が解除されたのは5年後の16年6月。元の畜舎は長年の雪の重みで崩れ、とても使える状態ではなかった。翌年、美紀さんと畜産会社「牛屋」を立ち上げ、知人から借りた約3600平方㍍の水田に畜舎を建てて牛の飼育を再開した。
転機は翌年9月。福島県郡山市のジンギスカン店で初めて国産の羊肉を食べた時だ。健さんはもともと羊肉特有の臭みが苦手だったが、軟らかく、臭みのない肉に衝撃を受けた。
すぐさま羊の飼育を調べ始めた健さん。牧草地に放牧して青草を食べさせる昔ながらの方法が現在も続いていた。「青草が臭みの原因ではないか。黒毛和牛の肥育技術を導入すれば、もっとおいしい肉になるのでは」。しかも国産羊肉のシェアは1%未満。「参入の余地は十分ある」。
「もうからないからやめとけ」という周囲の声をよそに、20頭ほどの子羊を北海道から買い付け、和牛を参考に畜舎で飼育、干し草や穀物などの飼料を与えた。獣医師でもある美紀さんも羊の病気を調べ、飼料の配合割合、餌を与える量やタイミングをさまざまなパターンで試した。
試行錯誤の末、羊は丸々と太り、和牛のようなサシの入った肉に仕上がった。通常、1頭分の枝肉が20~30kgなのに対し、2人が育てた羊は40~50kgに。臭みも他の国産より、さらに少ない。かむとじわっと甘みが出てくる。もちろん残留放射線も検出されていない。
流通ルートが確立していないため、健さんは東京などの飲食店に直接、売り込みに回った。「国産羊肉が手に入るのか」と口々にシェフが言い、需要は高かった。「メルティー(とろける)シープ」とのブランドで売り出すと、国産羊の倍の値が付いた。(写真下:ジンギスカン用に提供される「メルティーシープ)
「ビジネスとして確立すれば若い人たちが村で働ける」と健さんは村の将来を羊に託す。しかも羊肉は国賓を招いた宮中晩さん会のメインディッシュで使われるように、宗教上の制約も少ない。「さらに研究を重ね、葛尾の羊肉で世界と勝負したい」
(KyodoWeekly・政経週報 2020年10月12日号掲載)
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